世界は多極化の踏み込んだ進行によって、より安全になるのか、それとも安全でなくなるのか?これは21世紀の國際関係システムの変革の方向性に関わる大問題だ。焦點となる様々な國際問題に、この大問題に対する異なる立場を見ることができる。
ミサイル防衛(MD)をめぐる米ロのつばぜり合いはその新たな一例だ。ロシアは米國に、MD対話?協力の過程で「ロシア側の安全を明確な法的土臺によって保障すること」を要求している。この要求は行き過ぎたものではないが、米側がこうした約束を望んでいないことは明らかだ。米國はロシアの政治體制、価値観、改革路線に対して多くの疑念を抱き、ロシアが多く面で「後退」していると考えている。だが西側と異なる文化?伝統を持つ國が、西側の道に沿って歩んでいけるのだろうか?この面でロシアは教訓を経験している。ロシアは歴史?文化?伝統と國家の「品格」に基づき、発展路線の策定、現実的問題の処理において、ますます相応の「個性」を示すようになっている。MDシステムの始動?運用?配備は、いずれも米國とその同盟國の安全感の喪失と結びついている。
安全感の喪失は、かつて冷戦を招いた重要な原因だ。米國とソ連を頭とする二大陣営は核兵器の大量保有により脆弱な「恐怖の均衡」を見出した。冷戦終結後、世界構造は多極化へ向かったが、米國は安全感を得られずにいる。テロの脅威など現実的要因を除き、こうした安全感の喪失はその相當程度が、自らの絶対的優位の追求と世界各國の政治體制?発展路線の一元化への執著に由來している。特定の國を根本的に変えなければ、自國に対する敵視と脅威を取り除くことはできない。こうした思考方式は近年の米國外交、特に対テロ方面に多く表われている。これが米國の政治的信望を損ない、地域情勢に衝撃を與えていることは誰の目にも明らかだ。
1944年12月、米紙シカゴ?トリビューンは、後に米國の一部學者から冷戦勃発の原因を読み解くのに用いられることになる、重要な社説を発表した。「米國は世界を改造し、より素晴らしい場所にするという歴史的重任を擔っている。そして米國のパワーと疑問の余地のない願いは、すでにきつく結びついている」というのがその核だった。