吉林省公文書館で最近、南京大虐殺の記録を含む日本軍の中國侵略に関する文書が見つかった。同文書によると南京大虐殺前後の2カ月半で南京地區(qū)の人口は113萬人から34萬5000人へと78萬5000人減少していた。人民日報(bào)海外版が伝えた。
同文書は1938年2月19日と同28日に日本軍華中派遣憲兵隊(duì)の大木繁司令官が関東軍司令部に報(bào)告した2件の「南京憲兵管轄區(qū)內(nèi)の治安回復(fù)狀況に関する報(bào)告」。報(bào)告の「事変前後の人口対比」によると、「事変前」に南京の人口(下関を含まず)は100萬人で、2月28日までに33萬5000人が帰還し(戻り)、下関の人口は13萬人で、後に1萬人が帰還した。
1937年12月13日、中國侵略日本軍は南京を占領(lǐng)した。その後6週間、日本軍はこの世のものとは思えないほど殘虐な手段で、中國の市民と軍の捕虜30萬人以上を殺害した。だが日本には南京大虐殺の數(shù)字の矮小化、さらにはこの犯罪行為の否認(rèn)を企てる者が常にいる。
今回の日本関東軍の文書は吉林省公文書館に保管されており、関東軍が中國東北部を統(tǒng)治していた1931年から1945年までの様々な事項(xiàng)が記録されている。現(xiàn)時點(diǎn)で中國侵略に関する世界唯一の関東軍文書であり、非常に貴重で、日本國內(nèi)にすらないものだ。
1945年8月15日に日本が降伏を宣言すると、日本軍はこれらの文書を數(shù)日間かけて焼卻したが、間に合わなかったものを地中に埋めた。これらの資料は1950年に吉林省の工事現(xiàn)場で発見された。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年1月8日