この半年に渡り、香港が急に変わったようだと驚いている人も多いだろう。グルメ、ショッピング、金融業で知られ、蕓能界の多くのスターを輩出し、自由指數が世界トップの輝かしい大都會が、いたる所に破壊の痕跡が認められる、外出前に暴力発生エリアを確認しなければならないと都市に退化した。これらの破壊行動者の中には多くの若者が含まれ、11、2歳の子供もいるほどだ。これらの青少年を過激化させた要素とは何だろうか。
経済學者は、彼らの行為には根拠があると信じている。物事の判斷に大きな間違いがあるかもしれないが、彼らの行為は必ずしもその「理性」に反したものではないというわけだ。
初めに、いくつかの誤解について明らかにする。まず極稀なケースを除き、彼らの多くは理想のために命がけで戦う人ではない。彼らを「烈士」扱いにするのはさらに馬鹿げている。「色の革命」のやり方に基づくと、誰かがその運動で死亡した場合、その人は十分に利用される。その弔いとして、必ず大掛かりな行進が行われる。ところが「殘念」なことに、香港の警察は混亂が始まってから現在まで、一人も射殺していない。それとは対照的に、米國の警察は2019年に897人を射殺した。香港ではさまざまな原因により自殺した人が、志に死で殉じた、もしくは警察から迫害されたというレッテルを貼られたことがある。しかし殘念ながらこれには何ら確かな証拠が見つかっていない。
次に、これらの暴力に積極的に加わる若者は前途を何とも思っていないわけではない。「君見ずや」の彼らは黒服、黒い帽子、黒いマスクを著用している。強い光を浴びせられたり、マスクを剝がれると慌てふためき色を失う。彼らは告訴され重罰を受ける可能性が低いと思っており、さらにメディアや政治家から絶えずちやほやされている。彼らは「馬を殺すのは路傍で聲援を送っている野次馬」ということわざを體現している。
それから、彼らは爆弾を作り、火炎瓶を投げ、意見の異なる人に液體をかけ火を放っており、テロリストのようだ。しかし我々は絶対に、彼らが普通の學生もしくは會社員であることに驚いてはならない。シカゴ大學政治學部教授のロバート?ペイプ氏は2005年に、テロリズムを研究した本を記した。それによるとテロリストの多くが自分は正義と思っているが、日常生活では退勤後に市場で食材を買い、帰宅し料理をする一般人であるかもしれないという。