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360v360.cn |07. 11. 2021

習近平氏、百年の大黨を率い新たな征途へまい進

タグ: 黨

   ▽親を愛するように人民を愛する黨総書記

   習近平氏は1974年、陝西省の梁家河村で中國共産黨に入黨した。その時から中央委員會総書記になるまで38年かかった。

   陝西省安康市平利県老県鎮の小學校を訪れ、貧困脫卻に向けた取り組みを視察する習近平氏。(2020年4月21日撮影、北京=新華社記者/謝環馳)


   1969年、16歳にもならない彼は、梁家河村の生産隊に入った。その後の7年間は、黃土高原にあるこの小さな村で過ごした。村の人たちと窰洞(ヤオドン、洞穴式住居)に住み、粗末な雑穀を食べ、ノミのたかる寢床で眠った。

   習近平氏は入黨して間もなく、梁家河村生産大隊の黨支部書記となった。當時、習近平氏と一緒に仕事をした村の幹部は、彼のことを「著実な仕事ぶりで、自分なりの考えがあり、大衆や幹部を団結させることができた」と語る。

   北京の中國共産黨歴史展覧館で「『初心を忘れず、使命を銘記する』中國共産黨歴史展」を視察した後、黨員指導者の先頭に立ち、改めて入黨の宣誓を行う習近平氏。(6月18日撮影、北京=新華社記者/李學仁)


   1975年、習近平氏は生産大隊黨支部書記の職を離れ、北京に戻り大學へ進學した。卒業後は中央軍事委員會弁公庁で務めた。その後は河北省に赴き、正定県黨委員會副書記、さらには書記を務めた。

   「1982年、私は中央機関から再び末端、大衆の中に入ることを自ら望んだ。親を愛するように人民を愛すると言った」。習近平氏は當時をこのように振り返る。

   その後は、沿海部の福建省、浙江省、上海市で役職を歴任した。彼はどこへ行っても人民との緊密なつながりを保つことができた。

   中國浦東幹部學院の劉靖北(りゅう?せいほく)副院長は「この(人民を中心とする)気持ちこそ、彼が新型コロナウイルスの襲來時に、いかなる代償も惜しまず人の命を救う考えを示した根底になっている」と語った。

   2007年、習近平氏は黨中央に移り、中央政治局常務委員、國家副主席を務めた。黨建設、組織活動、香港?マカオ、北京五輪の準備などを擔當した。

   河北省阜平県竜泉関鎮駱駝灣村で貧困農家をねぎらう習近平氏。(2012年12月30日撮影、北京=新華社記者/蘭紅光)


   2012年、中國共産黨第18期中央委員會第1回全體會議で、59歳の習近平氏は中央委員會総書記に選出された。

   総書記就任から1カ月余りで、習近平氏は厳冬の中、河北省の貧困県、阜平県を訪れた。農家に足を踏み入れ、農民らに生活狀況を尋ねた。その時彼は、一部の村民の暮らしが苦しいのを目にし「気持ちが重かった」と語っている。

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