1992年 |
1月15日、中國ドーピングテストセンターはIOC醫學委員會の年度テストにパスし、さまざまな國際競技のドーピングテストを行う資格を認められた。 2月18日、中國登山協會主席拡大會議?全國登山管理會議が北京市懐柔県で開催された。出席した代表たちは「登山を目的として中國に入國する外國人に対する管理規則」の実施細則、登山事業の発展を討議し、中國登山協會の指導メンバーの調整と増員を行い、同協會の規則を改正した。 3月9日、「世界スポーツ賞」の設立100周年記念に際し、授賞式がアメリカのロサンゼルスで開催された。中國の林莉選手(水泳種目)が受賞した。 4月7日、世界水中競技連合會執行委員會の決定で、水かき水泳の世界記録を數回更新した中國の鄭世玉選手が最初の「世界優秀スポーツ選手賞」を受賞した。 5月3日、國家體操代表チームの李春陽選手に「全國の優秀な共産主義青年団団員」の稱號を授與された。 5月10日、「臺灣海峽両岸:臺北―上海―北京の長距離競走」が行われ、両岸のリレーチームのそれぞれ40人が14市を経由し、2700キロの距離を完走した。長距離競爭に參加した臺灣海峽両岸の人々の數は4000人に達し、観衆は100萬人を上回った。 5月16日、第6回世界女子重量挙げ選手権がブルガリアで開催された。中國女子代表チームは金メダル26を獲得し、団體総合得點で一位に輝いた。 5月30日、江沢民主席は中央軍事委員會の命令に署名し、スピードスケートの葉喬波選手に「スポーツ界の先兵の選手」という栄譽ある稱號を授與した。 6月9日、國家體育運動委員會、國家體育総局、中國オリンピック委員會が人民大會堂で「毛沢東主席の『スポーツ活動の発展を促し、人民の體位を引き上げる』という題辭発表の40周年記念大會」を催し、「全國大衆スポーツ先進機構」と評定された48の組織を表彰した。 6月22日から27日にかけて、全國サッカー種目會議が北京で開催され、出席した代表たちは「中國のサッカー競技についての報告」、中國サッカー協會、地方サッカー協會の実體化についての案を討議した。「思想を解放し、改革を加速し、著実な態度をもって努力し、中國のサッカー事業の新たな局面を切り開こう」ということが打ち出された。 7月8日、中國オリンピック委員會所屬のアンチ?ドーピング委員會が北京で発足した。 7月11日、國家體育委員會、國家教育委員會は「中等スポーツ學校の合格評定基準」、「中等スポーツ學校の教育水準の評定基準システム」を共同で下達した。 7月13日、第25回オリンピックスポーツ科學大會がスペインで開催され、陳英傑氏が中國を代表して「IOC會長賞」を受領した。 7月17日、IOC副會長、中國オリンピック委員會の何振梁主席がバルセロナで開催されたIOC執行委員會?IOC第99回全體委員會議で、IOC筆頭副會長に選ばれた。 7月20日、國務院弁公庁は「1992年全國サッカー會議の要録」を下達した。 7月24日、第25回オリンピック大會がスペインのバルセロナで開催された。中國スポーツ代表団は25種目のうちの20種目の競技に參加し、金メダル16、銀メダル22、銅メダル16を獲得した。 8月23日、アジア竜舟(ドラゴンボート)連合會準備委員會が北京で発足した。 9月3日、第9回パラリンピックがスペインのバルセロナで開催され、中國代表団は金メダル11、銀メダル7、銅メダル7を獲得し、8人の選手が世界記録7を14回で更新した。 9月4日、第5回世界女子フリースタイルレスリング選手権がフランスで開催され、中國選手は金メダル4、銀メダル1を獲得した。 9月15日、第1回世界知的障害者オリンピック大會がスペインで開催され、中國代表団は金メダル5、銀メダル1を獲得した。 10月6日、第三回「中國の優れた青年十人」の発表式典が北京で開催され、スピードスケート種目の葉喬波選手がそのトップに選ばれた。 10月10日から18日にかけて、第二回全國農民競技大會が湖北省の孝感市で開催され、全國の31の?。ㄗ灾螀^、直轄市)の4000余人の選手が參加した。同競技大會は9の種目からなる。 11月11日から17日にかけて、全國の體育運動委員會主任座談會が広東省の中山市で開催された。それは中國南部の視察をおこなった鄧小平氏の講話、中國共産黨第14期中央全會の報告の學習、スポーツ界の改革をメインテーマとするものであった。國家體育運動委員會の伍紹祖主任が講演をおこなった。その要旨は次の通り?!感轮袊闪⒁詠?、特に改革?開放の実施以來、中國のスポーツ事業は目覚しい発展を遂げたが、計畫経済體制下の高度に集中したスポーツ管理メカニズム及びこのメカニズムがもたらしたさらに深層的な問題や矛盾が目立つようになった。例えば、國の責任を負う範囲があまりにも広いこと、管理が厳しすぎることがそれである。これは社會主義市場経済の発展に適合しないものになった。そのため、體制の改革をポイントとし、體制の転換を核心としてのスポーツ改革の足取りを加速することを通じて、社會主義市場経済に適合し、現代スポーツ事業の法則に合致し、「政府がコントロールし、社會の力をよりどころとし、自らの発展を目指す」という生気と活力に満ちたスポーツ管理體制及び良性的循環する運営體制を形成し、政府による運営と社會による運営を互いに結びつけ、社會による運営を主體とする新しい枠組を形成しなければならない。 同會議の期間に、「サッカー競技の改革を突破口として、競技スポーツの改革の道を模索する」方針が確定された。この會議はスポーツ事業の改革?発展の歴史の中で、畫期的な歴史的意義を持つもので、その後、「中山會議」と呼ばれようになった。 11月22日、全國の豊かになった農村部におけるスポーツの発展をめぐってのシンポジウムが上海で開催された。 「チャイナネット」 2005年9月 |
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