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再び光を放つチベットの薩迦寺

人民網日本語版  |  2009-02-25

再び光を放つチベットの薩迦寺。

タグ:チベット

発信時間:2009-02-25 11:46:12 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

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薩迦(サキャ)寺の概要

薩迦(サキャ)寺はチベット自治區薩迦(サキャ)県の奔波山に位置し、チベット仏教薩迦(サキャ)派の寺院であり、1961年、國務院に「全國の重點文化財保護部門」として指定された。

1073年、吐蕃(トバン)王朝の豪族昆(クン)一族の昆?貢卻傑布(クンチョク?ギャルポ)は奔波山南部の山腹にサキャ寺を建立し、サキャ派が誕生した。

13世紀初め、成吉思汗(ジンギスカン)を始めとする蒙古部落が強大になり、武力によって中原を統一。1240年、元朝の闊端(クテン)、チベット出兵前に、各派の中で名聲が高い薩班貢葛堅賛(サパン?ゴンガギェルツェン)の引見を希望。1244年、サパン?ゴンガギェルツェンが甥の八思巴(パスパ)を率いて涼州(現在の甘粛省武威)へ。1247年、サパン?ゴンガギェルツェンとパスパが涼州でクテンと面會、同時に、元朝の條件を受け入れるようチベット各派の高僧や豪族を説得。これによりチベットは正式に中國に組み込まれた。フビライは中國を統一し、中央政府を樹立した後、パスパを「國師」に封じ、全國の仏教関係の事務とチベットの管理を任せた。パスパは皇帝の命により、チベットの13萬世帯の戸籍を調査し、法律を制定し、1268年にサキャで地方政権のサキャ王朝を樹立した。パスパは元朝の中央政府に所屬するチベット地方の行政長官になり、サキャ派の勢力も最盛となった。

サキャ寺は仲曲(チュンジュ)河の両岸に建てられ、昔はサキャ南寺?サキャ北寺と呼ばれた。寺全體で40の建物があり、壯大な規模の寺院建築群である。

サキャ南寺は1268年に建てられたもの。當時、漢民族の職人も施工に參加した。その後數度の拡張や補修作業を経て、現在の規模になった。寺全體は平面が方形を呈し、高い壁に囲まれ、総面積1萬4760平方メートルである。

サキャ寺は建立されて、すでに900年余りの歴史がある。その間、サキャ王朝は全チベットを70年余り統治したことがある。境內には、大量の文物が保存されており、中でも経書が最も有名である。サキャ北寺と南寺に所蔵される経典?書籍は2萬4000點を超えるという。

このほか、サキャ寺には、元朝の中央政府から贈られた法衣、法器、服裝品、裝身具、宋朝以來の仏像、刺繍、供物、陶磁器などが所蔵されており、「第二の敦煌」と褒め稱えられている。

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「北京週報日本語版」2009年2月24日

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