この夏、大阪、神戸へ出張のついでに19年前に三菱電機関連の火力発電所のビジネスで4カ月ほど滯在した兵庫駅前のホテルを、記憶を辿りながら、探してみました。駅の反対方向に立った頃、まったく新しくなった駅前、よく分かりませんでした。逆の方向に行き、一軒、ホテルらしい建物の方向へ歩きながら探したら、まず「天津樓」というレストランが見つかり、そして懐かしい「王將」という餃子屋さんの看板も見つかり、ここだとすぐ思い出しました。ホテルの橫にある「王將」でよくテイクアウトの餃子を買った覚えがあります。
ホテルに入り、受付嬢に案內され、當時の若社長と會い、お互いに年を取ったねと言いながら、同氏から次のようなびっくりするような話を聞きました。
當時(88年)、われわれ(華能福州発電所の方數人と通訳の小生)が泊まった5階建てのホテルは阪神大震災(95年)で一階がぺちゃんことなり、5階の建物が4階となり、受付のおじさんは1階の機の下に隠れていたお蔭で、全員無事でしたが、ホテルは全壊し、結局つぶされ、すべて一からやり直したそうです。
そう言えば、入館したばかりの時は、なんか記憶と違ったので、やはりこれは新築のものだと思い、しかも現在は10階建て以上の立派なホテルとなっていることに気付きました。
國からも、保険も、ほとんど補償はなく、自力でゼロから再スタートしたそうです。
これを淡々と語る社長に対し、それは、それは、ただただ口を開けたままで、しばらくものが言えませんでした。また、當時われわれ(華能公司)のものたちを親しく接してくれたフロア掃除のおばさん達が懐かしく、まだいるかなとたずねてみたら、19年前のことなら、まだ數人はいるというので、會わせてくれましたが、やはり、記憶を呼び戻せませんでした!約20年の歳月の厳しい現実を知らせ示されました。
とりあえず目を赤くしてみなで記念寫真を取りました。帰りに駅のホームからそこにそびえ建つホテルを見て、急に胸が熱くなり、思い出に後ろにある山の入った景色を一枚の寫真におさめました。(當時は5階のベランダに出て、よく山を背にしてみんなと寫真を撮った覚えがあります)この高くそびえ建つホテルの話をこれからの人生の努力のバネにしたいと思います。
2007年8月夏 東京にて
(筆者は丸紅株式會社食品流通部の洪志東さん)
「チャイナネット」2007年11月7日