陸川監(jiān)督は今年38歳になる。2005年に準(zhǔn)備に取り掛かってから「南京!南京!」の公開まで、4年の歳月がかかった。
陸川監(jiān)督は1989年から1993年まで4年間、南京の大學(xué)に通った。この4年間に3回南京大虐殺紀(jì)念館を參観したという?!袱ⅳ肽辘蜗男荬撙说埭[びに來たので、紀(jì)念館に連れて行った。弟は半分見終わると急に外に飛び出し、壁に寄りかかって泣いていた。このことが強(qiáng)く印象に殘っている。紀(jì)念館に陳列してある展示品の多くは確かに子供にとってはとても受け入れがたいものだ。私を含め、どんな人でもショックを受ける」と陸川監(jiān)督は振り返る。
「本當(dāng)にこの映畫を撮りたいと思ったのは『ココシリ』を撮影していた時(shí)。當(dāng)時(shí)、ゴビ砂漠で次は何の映畫を撮ろうかという話題になって、私が南京大虐殺を撮ろうと口にした。當(dāng)時(shí)はただの構(gòu)想だった」?!弗偿偿伐辍工虼橛搬帷⒛暇┐笈皻ⅳ碎vする腳本が陸川監(jiān)督の目の前にあらわれる?!府?dāng)時(shí)、米國の投資側(cè)が『ラーベ日記』をもとに書いた腳本をもってきた。ところが資料を調(diào)べていると、だんだんこの作品を撮りたくなくなった。中國人監(jiān)督が南京大虐殺を撮るのに、ドイツ人が中國人難民を救うストーリーに濃縮することはできない。南京大虐殺の被害者は中國人なのだから。この傷跡は今でもわれわれ民族の體に殘り、痛みもある。単に外國人が中國人を救ったという結(jié)末にすれば、このテーマを簡単にしてしまう。だから私は日本の兵士や中國の民衆(zhòng)、特に被害者の角度からこの殺戮と戦爭がもたらした傷をじっくり見つめる必要があると思った。それこそが我々の責(zé)任だと」。
?人民網(wǎng)日本語版?2009年4月22日