「中日平和友好條約」締結(jié)30周年の年に、「08年中日青少年友好交流年」の一環(huán)として中國(guó)の青年代表団と高校生代表団一行700人が日本政府の要請(qǐng)を受け、11月中旬に日本で友好交流訪問(wèn)を行った。「交流年」最後の大規(guī)模な代表団はそれぞれ東京?京都?大阪?名古屋?福岡?熊本?千葉を訪ね、視察や討論、交流などの活動(dòng)を通じて青年同士の友好を深めた。
▽理解を増進(jìn)する友好の旅
島國(guó)の風(fēng)土、電子?科學(xué)技術(shù)、自動(dòng)車大國(guó)、環(huán)境保護(hù)への意識(shí)など、代表団のメンバーは日本への理解をいっそう深めた。北海市第7中學(xué)の張凱くんは日本の家庭ですすんでゴミの分類をしているのが印象的だったという。日本の家庭ではゴミを分類してゴミ袋に入れ、決まった場(chǎng)所にそれぞれ分けてゴミを捨てている?!溉毡救摔闲·丹ろ暏榄h(huán)境を守る習(xí)慣を養(yǎng)っている。こういった方面は確かに學(xué)ぶべきだ」。
交流の中で互いに學(xué)び、理解を増進(jìn)し、感情を深め合うことがまさに「中日青少年友好交流年」の目指す目的だ。中國(guó)大使館の崔天凱大使は「青少年は両國(guó)の往來(lái)の中で非常に重要な役柄を演じている。青少年の間の友好感情が深まることほど両國(guó)関係にとっていいことはない」と指摘する。
高校生代表団の活動(dòng)にはホームスティもある。桂林市職業(yè)教育センター學(xué)校の秦思さんは八代市の公務(wù)員、山野さん宅に滯在した?!袱袱丹蟆工膜颏长幛迫毡玖侠恧蜃鳏盲皮?、「お兄さん」とはパソコンゲームで一緒に遊び、「お父さん」は町中を探し回ってプレゼントを買(mǎi)ってくれた。東京へ戻る當(dāng)日、山野さん一家はこの中國(guó)の高校生を溫泉旅館に連れて行き、別れを惜しんだ。みんな一人ずつプレゼントを交換し、記念寫(xiě)真を撮り、涙ながらに「蛍の光」を一緒に歌ったという。
▽青年交流に國(guó)境はない
青年代表団と學(xué)習(xí)院大學(xué)の學(xué)生の晝食會(huì)では言葉の壁はなかった。広東中山大學(xué)の湯葉濤代表と學(xué)習(xí)院大學(xué)の長(zhǎng)尾賢學(xué)長(zhǎng)は英語(yǔ)と中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)、それに身振り手振りと筆談を駆使して、伝統(tǒng)料理の食べ方にはじまって、日本では子供の時(shí)から環(huán)境保護(hù)教育をすることや、両國(guó)が互いに直面する若者の就職困難や高齢化など社會(huì)問(wèn)題に話がおよんだ。年齢の近いもの同士、初対面で緊張しつつもすぐに熱い討論となった。
日中友好會(huì)館は「交流年」活動(dòng)の特別サイト「心連心」を開(kāi)設(shè)。同館を訪れた高校生にIDが発行され、いつでもどこでもこのサイトに登録して遠(yuǎn)く離れた異國(guó)の友と交流できるようになっている。高校生代表団が熊本県水俁工業(yè)高校の生徒と交流した際、広西武鳴高校の尹虹毅くんは水俁工業(yè)高校機(jī)械科の學(xué)生らと連絡(luò)先を交換し合い、南寧での再會(huì)を約束した。
▽青春の力で世代友好を
「2008中日青少年友好交流年」の日本側(cè)の閉幕式が學(xué)習(xí)院大學(xué)で行われ、麻生太郎首相が母校を訪れ、中日友好に向けて努力するよう両國(guó)の青少年を激勵(lì)した。両國(guó)の青少年は中日の歌を歌い合い、その歌聲が彼らの心をひとつにした。
山梨県の河口湖周辺には鮮やかな紅葉が広がっていた。北京景山中學(xué)で物理を教える満先生はこの赤く染まった葉を慎重に拾い上げ、ノートにはさんだ。學(xué)校に持ち帰り、今回日本の旅で得た「紅葉の背後にある話」を生徒たちに話して聞かせるのだという。
この友情のバトンは必ずや次の世代へと継承されることだろう。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2008年12月09日