文=薩蘇
一月前、北京に戻った。この街ではもう30年も過ごしていて、しかもほんの2,3カ月不在だっただけなのに、外出時(shí)には慎重にならざるを得ない。街の道路、建築の変化は大きすぎ、経験にたよって歩いてみると、記憶のなかでは橫丁だった場(chǎng)所が巨大なビルにふさがれていたり、あるいは、立體交差橋の上で、反対側(cè)に渡るには、飛び降りる以外、方法がないことが分かったりする。
當(dāng)然のことながら、飛び降りるわけにはいかない。北京の立體交差橋は東京と同じく、スーパーマンの能力でもなければ、転落死はまぬがれない。北京の立體交差橋が実にさまざまであることを怨まざるを得ない。數(shù)年前、ある日本人が西直門の立體交差橋の上で3時(shí)間たっても降りる方向を探しあてることができず警察の助けを求めた、という話を聞いたことがある。はるばる帰國(guó)した私がどうして警察に迷惑をかけられようか?
私の意見は、日本と中國(guó)の文化の違いを體現(xiàn)していると思う。日本人の考え方はお互いに似ていて、違う考えをする人間は特別視される。ゆえに一人の日本人にどう思うかを聞けば、殘りの99人の考え方は推測(cè)できる。けれど中國(guó)人の考え方はそれぞれかなり違い、しかもそういう事態(tài)に慣れている。ゆえに99人の中國(guó)人にどう思うかを聞いても、次の100人目の中國(guó)人の考え方は分からない。このような文化の違いは、立體交差橋の建設(shè)にも現(xiàn)れている。日本の立體交差橋は、交通上の必要のためにのみ建設(shè)されるもので、その様子はよく似ているが、中國(guó)の立體交差橋は交通の必要を満たすのはもちろん、中國(guó)人のさまざまな考え方をも體現(xiàn)している。ゆえに、中國(guó)の立體交差橋は、同じものが少ない。もちろんそれは美しく、退屈ではないが、ドライバーにとっては心躍る、というものではない。
立體交差橋の上で行くべき道が見つからないと、自分が北京に取り殘された気持ちになる。 日本から戻った2人の北京人の友達(dá)に會(huì)ったところ、彼らも同じ思いだった。
私たち3人は日本での生活がすでに10年を越え、北京のあるテレビ局が我々をある番組に招き、中國(guó)の視聴者に対し、真実の日本について語らせようとしたことがある。
このような話題は全員が興味あるものであり、私たちは楽しく話し合った。
けれど、番組がもうすぐ終わろうとするころ、若く美しい女性キャスターがあふれる善意と同情をこめて「本日いらしたみなさんは、日本で辛い仕事をし、故郷の言葉もきけず、淋しく、疲れたことでしょう。それほど苦労なさって戻られたのですから、北京ダックなど美味しいものを食べて、どうぞよく休んでください」と発言した。
その瞬間、私たちは愕然とした。このキャスターの言い方では、日本はひどい環(huán)境の舊社會(huì)のようではないか? 私たちはお互いの顔をながめて慌てて話を継ぎ、キャスターに間違えないように、と言った。日本は中國(guó)人のとても多い場(chǎng)所で、電車のなかでは頻繁に中國(guó)語を聞く。毎日、Eメールや動(dòng)畫サイトを見れば、中國(guó)國(guó)內(nèi)にいるのとなんら変らず、淋しいとはいえない。苦労は確かにあるが、合理的なものであり、最終的には報(bào)酬と仕事の成果は正比例している。疲れ? 長(zhǎng)年過ごしているが特別に疲れは感じることはなく、逆に中國(guó)國(guó)內(nèi)の多くの會(huì)社のほうが日本より疲れる?????総じていえば、日本の生活はもし一蕓に秀でていればとても愉快である。
このように語ると、キャスターはうなずき、謝った。日本での仕事は、日々、ぜんまいを巻かれるような大変さだろうと思っていたのですが、今日、自分の間違いが分かりました。お詫びします、と彼女。
雰囲気は穏やかになり、番組は無事、終了した。スタジオを出て、我々三人はまた話し合いを始め、キャスターの最後の言葉がずっとひっかかっていた。
そのうち、一人がはっとした様子で、「彼女が間違っていない、我々が間違っている」と言う。
なぜ、我々が間違っている?もう一人の友人は知りたがった。
「もちろん我々のほうが間違っている。我々は、中國(guó)の人々は海外で暮らす人間を常に羨んでいると思っているので、そんなにいい生活をしていないと言われると驚いてしまう。十年前だったら我々のそういう考え方は間違いではなかった。國(guó)內(nèi)の収入と外國(guó)のそれは大きな差があり、発展するチャンスも外國(guó)のほうが多かった。けれど、今は、もし技術(shù)があれば、中國(guó)で日本とそれほど収入のかわらない仕事を見つけるのは難しくなく、発展のチャンスも中國(guó)にも多く、そうなると人が我々を羨む必要なんてない。中國(guó)の人々の考え方が変ったのに、我々が反応できていないのだ」
そうだろうか? よく考えてみると彼の正しさが分かる。中國(guó)の発展は速すぎ、この國(guó)を離れて久しくなると、一つの都市についていけなくなるだけでなく、中國(guó)人の考え方にさえ、ついていけなくなるのだ。
薩蘇 2000年より日本を拠點(diǎn)とし、アメリカ企業(yè)の日本分社でITプログラミングプロジェクトのマネジャーを務(wù)める。妻は日本人。2005年、新浪にブログを開設(shè)、中國(guó)人、日本人、およびその間の見過ごされがちな差異、あるいは相似、歴史的な記憶などについて語る。書籍作品は、中國(guó)國(guó)內(nèi)で高い人気を誇る。文學(xué)、歴史を愛するITプログラマーからベストセラー作家という転身ぶりが話題。 |
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「人民中國(guó)インターネット版」より 2010年4月29日