いわゆる「絶対音感」で作曲し、「日本のベートーベン」と稱されていた佐村河內(nèi)守氏が全聾ではなく、しかも作曲できないことが判明した後、今度は日本の次の「ノーベル賞」候補(bǔ)と有力視されていた小保方晴子氏の論文捏造が発覚した。一人は日本を代表する蕓術(shù)家、一人は日本を代表する科學(xué)者だ。下村博文文部科學(xué)相も小保方晴子氏を「日本の誇り」と絶賛していた?!腑h(huán)球ネット」が伝えた。
日本は非常に厳密な社會(huì)で、文化や科學(xué)の方面では特に弛まない研鑽を積んでいる。ところが近年では建物の耐震強(qiáng)度の偽裝や製品の偽裝といった問(wèn)題が増えてきている、そして國(guó)際的にも大きな波紋を呼んだ今回の2つの事件。こうした現(xiàn)象は偶然ではなく、近年の日本社會(huì)の深刻な右翼化と共通する背景がある。それは自信を失いつつある日本社會(huì)で、多くの人が英雄の出現(xiàn)を望み、それに応える形で英雄を偽る人が出てきているのだ。人々が英雄を求めれば、「英雄」が時(shí)運(yùn)に応じて現(xiàn)れる。これは衰退期に入った日本社會(huì)の普遍的な危機(jī)であり、日本と同じ轍を踏まないよう、同じ東アジア文化に屬する中國(guó)も警戒する必要がある。
佐村河內(nèi)氏は若い頃に聴力を失い、天からの恵、つまり伝説の「絶対音感」で作曲していたとしていたが、実際には無(wú)名の音楽教師に作曲させていた。ドキュメンタリーの制作で世界的に有名なNHKも彼を取り上げた番組を放送した。ところが彼のパートナーがついに耐え切れず、作曲した曲がソチ五輪で使われる前に、彼らの秘密を公開した。これには日本社會(huì)全體が驚いた。ただ彼の曲は彼自らが思うほどいいものではなく、せいぜい三流のレベルにすぎない。事実が発覚すると、その曲も大したことないとなった。日本の民衆(zhòng)が必要としていたのは音楽ではなく、英雄のストーリーだったのだ。