中國の伝統的な暦によると、2014年は舊暦の甲午の年であり、甲午戦爭(日本名?日清戦爭)120周年にも當たる。
120年前の戦爭について、國內外の関係者は長期間に渡りこれを検討し、論述してきた。一般的に、末期の清朝を惜しみため息を漏らす人が多いが、列強の仲間入りをしたばかりの日本が武力濫用から抜け出せなくなり、最終的に50年後の第二次世界大戦で徹底的な失敗に至る過程については、余り検討されてこなかった。日本は甲午戦爭から帝國主義による侵略?拡張の道を歩み始めた。日本は當時の清朝に打ち勝ったが、これより永遠に後戻りできない戦爭の深淵に足を踏み入れた。甲午戦爭で日本は勝利したが、その裏には敗北が隠されていた。
まず、甲午戦爭は日本の軍事冒険主義の始まりで、この「旨味」を得た日本はその後収拾がつかなくなり、自國のように「賢明」であれば天下を闊歩できると考えた。しかし危険を冒すことで一時的な力を得られるかもしれないが、「一世の雄」になることはできない。甲午海戦において、日本の軍艦は危険を冒し、清朝の兵士を乗せた船に奇襲をかけ、10年後の日露戦爭では再び危険を冒し、旅順に停泊中のバルチック艦隊に奇襲をかけた。1941年12月の真珠灣奇襲は、3回目の奇襲となった。日本は幸運にも成功を収めたが、繰り返される軍事冒険主義は、日本が戦爭の底なし沼に沈む速度を速めたにすぎない。日本軍國主義は4年も経たないうちに、全世界の反ファシズム陣営の共通の敵となり、ついには崩壊した。
過去を忘れず、未來の師とする。ところが今日の日本を見ると、かつての軍事冒険主義の失敗から教訓を汲み取っていないようだ。現在の安倍政権は、戦爭の危険を冒す道を歩んだ日本軍國主義の「亡き魂」が「復活」したかのようだ。
次に、甲午戦爭は日本の「軍事至上主義」の野心が爆発したもので、第二次世界大戦でアジアに戦爭を仕掛けたことでピークに達した。しかしこの野心の膨張は、日本軍國主義の滅亡を早めた。日本は韓國を占領、中國を侵略し、太平洋戦爭の熱狂の中で我を忘れた。この軍事至上主義が日本にもたらしたのは、他國の領土を踏みにじる快感であった。さらに重要なことは、この軍事至上主義が最終的に日本の軍國主義を、墓場に引きずり込んだことだ。
今日の安倍政権は、集団的自衛権の解禁のために奔走している。紛れも無く、集団的自衛権の行使は、形を変えた軍事至上主義の回帰である。集団的自衛権は「日本と同盟國の安全」を目的としているが、これは聞こえの良い口実と修辭だ。集団的自衛権を行使しようとする安倍首相の真の目的は、日本を戦前のような、海外で自由に軍隊を使用できる國に戻らせることだ。安倍首相にとって、軍事至上主義の日本こそが「真の日本」、「正常な日本」、他國に「畏怖」される日本なのだ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2014年6月5日