國(guó)家公文書(shū)局は4日、「?jìng)ゴ螭蕜倮D中國(guó)が降伏文書(shū)を受け取る」の第21部「洛陽(yáng)區(qū)と襄樊エン城區(qū)の投降受け入れ」を公式サイトで公開(kāi)した。
第21部の説明によると、洛陽(yáng)區(qū)の投降受け入れは、第一戦區(qū)の胡宗南司令長(zhǎng)官の指揮の下に行われ、鄭州?開(kāi)封?新郷の投降が受け入れられた。同區(qū)の日本投降代表は、中國(guó)侵略日本軍第12軍の鷹森孝司令官が務(wù)めた。日本軍の投降部隊(duì)のうち第110師団は洛陽(yáng)、第6騎兵団と第22軍は新郷、第10獨(dú)立騎兵団は鄭州に集中していた。1945年9月22日、胡宗南は鄭州で鷹森孝の投降を受け入れた。 襄樊エン城區(qū)(襄陽(yáng)?樊城?エン城)の投降受け入れは、第五戦區(qū)の劉峙司令長(zhǎng)官の下に行われた。同區(qū)の日本側(cè)投降代表も鷹森孝が務(wù)めた。日本軍の投降部隊(duì)のうち第115師団と第14獨(dú)立騎兵団はエン城、第92獨(dú)立旅団と第13獨(dú)立騎兵団は許昌、第4獨(dú)立騎兵団は商丘に集中していた。1945年9月20日、劉峙は河南ラク河で日本軍の投降を受け入れた。(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2014年9月19日