NHKの記者は中國の王毅外交部長に対して、「日本の多くの國民は、中國は歴史問題を武器にし日本のここ數年の世界平和への貢獻を低く評価し、日本の世界での信頼に傷をつけているのではないかと見ている。中國に大國としての広い心があるのなら、対日政策を調整すべきではないか」と質問した。
これは日本の一部の人物、特に右翼の政治家の心の病を反映している。
本來ならば、2015年は中日が共に歴史を鑑として、共に未來の新局面を見據えるチャンスの年である。「大國としての広い心」は、反ファシズムや世界平和の維持という世界の共通認識によって示されるべきだ。これは両國民が同じ側に立ち、歴史を見直し、歴史の重荷を下ろすよう促すべきだ。しかし日本の一部の人物による手法には困らされる。まず歴史問題について觸れられると過敏な反応を示し、「歴史問題を利用し日本を貶めている」と逆ねじを食らわせる。次に、歴史問題に觸れられると「驚愕」を示す。安倍晉三首相は1月29日の衆議院予算委員會において、米國の歴史教科書の南京大虐殺に関する記述に、「驚愕」を示した。それから、歴史問題について觸れられると、言い逃れをしようとする。いわゆる安倍談話は、「植民地支配」「侵略」「謝罪」といったキーワードを極力回避する可能性が高い。安倍首相は、「私が発表する談話は、これまで何度も使用されてきた文言を使うのではなく、安倍政権が70年を迎え何を考えているのかを示す」と述べた。これは日本の侵略の歴史を美化し、罪を覆い隠さなければ、日本は輝かしい未來に向かえないかのようだ。
王部長は、「先ほど歴史問題に觸れたが、この問題は長期にわたって中日関係を困惑させている。そのため、原因はどこにあるのかと問わざるを得ない。ある中國の外交の大先輩がこの問題について「加害者が危害を加えた責任を忘れないほど、被害者はかつて受けた傷を癒すことができる」という見方を主張したことを思い出した。この言葉は人と人の付き合い方であり、歴史問題に対する正確な態度でもある。日本の政治家がこの問題をどうするか、まず胸に手を當てて自問してもらいたい。70年前に日本は戦爭に負け、70年後に日本は再び良識に負けるべきではいない。歴史の荷物を背負い続けるか、それとも過去にけじめをつけるか、最後は日本が自分で選択しなければいけない」と率直に語った。