広島と長崎は70年前、2発の原爆で瞬時にして壊滅した。これは2つの都市の悲劇のみならず、人類史上の悲劇である。ゆえに毎年8月6日と9日に、この2つの都市の悲しみが世界の注目を集める。人々に戦爭の殘酷さを銘記させ、得難い平和を惜しませるのだ。
しかし広島と長崎の悲劇は獨立したものではなく、歴史の過程における一つの挿話だ。これを第二次大戦の全體の一部として見ることで、初めて物事の本質をとらえ、歴史の悲劇の再演を防ぐことができる。
原爆が広島と長崎の人々に苦しみをもたらしたことは事実だ。しかしこれは侵略國の日本が受けた反撃による苦しみでもある。これは誰の責任であろうか?爆撃を行ったのは米國の爆撃機で、決定を下したのは米國政府だが、米國のせいにするのではなく日本軍國主義のせいにするべきだ。アジアの戦爭の発祥地である日本の軍國主義が、狂気に支配され侵略戦爭を発動し、戦爭の中で極端な暴力性と野蠻さを示したことで、米國がすべての手段を講じ日本を打ち負かそうと決めるに至った。
原爆が広島と長崎の人々の平和と安寧を打ち砕いたのは事実だ。しかし日本が他國を侵略し、自國の平和?安寧?発展を実現しようとするのは、まさに的外れである。真の平和を実現するためには、日本人全員が行動し、戦爭を阻止しなければならない。日本の有名な出版人の巖波茂雄は、誰もが保身に走り流れに身を任せたことで、日本が侵略戦爭という破滅の道に向かったのだと反省している。巖波茂雄は、「大勢に歯向かわなかったのは、私に勇気がなかったからだ。私と同じ思いを抱く人は、全國に數百萬人はいるだろう。そのうちの數十人が毅然と立ち上がることができれば……(中略)……主戦論者に決死の覚悟で立ち向かえれば、この名譽なき戦爭を未然に防ぐことができたかもしれない」と述べた。