1930、40年代には世界分裂の趨勢が顕著になり、最終的に敵対する國家集団を形成し、ナチス?ドイツと日本軍國主義が樞軸國を形成して侵略?拡張をおこなった。ナチス?ドイツと日本の侵略が激化するに伴い、米ソは接近し続け、肩を並べて戦った。中國は反ファシズム戦爭の全期間を通じて米ソ両國と緊密な関係を保ち、國際関係史において中心的役割を果たした。
國家、國際と「國境を越える」という3つのレベルで第2次世界大戦を理解することは中國の近現(xiàn)代史を理解するうえで助けとなる。抗日戦爭で中國は近代以降初めて外國からの侵略に完全な勝利を収め、その後中國の主権に公然と挑戦しようとする國はなかった。次に、中國は國連の五大常任理事國の1つとなったうえ、戦後秩序の形成に重要な役割を発揮した。それ以降、中國の參加なくしてアジアの安定した地域秩序の構築は考えられない。
また、中國人は戦時中と戦後に大規(guī)模に移動した。國內での大規(guī)模な移動だけでなく、かつてない規(guī)模で海外に渡った。戦爭中、おびただしい數の中國遠征軍が東南アジアとインドで戦い、日本軍國主義勢力の拡大への抵抗に重要な役割を発揮した。戦後、中國人は太平洋を越えて米國やカナダに渡った。大量の中華料理店の出現(xiàn)、中國人留學生の激増はこの現(xiàn)象を反映している。
國境を越える往き來は中國人および中國文化と世界との交流、融合を促進し、中國は最終的に國際社會の重要な一員となった。第2次世界大戦から、中國と世界の相互作用は活発化し、融合は深まったと言える。中國の人々は世界反ファシズム戦爭で大きな犠牲を払い、不滅の貢獻を果たし、現(xiàn)代の中國と世界との関係に注釈も殘した。これは歴史の事実であり、尊重されるべきだ。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年8月18日