20世紀(jì)初頭の中國(guó)における重大な歴史的事件である辛亥革命の偉大な功績(jī)は、封建帝政を覆してブルジョア民主共和制を築き、アジア初の共和國(guó)を成立させ、中國(guó)資本主義の近代化への政治的、経済的條件を整えたことにある。(文:周鉄農(nóng)?全人代常務(wù)委員會(huì)副委員長(zhǎng)、中國(guó)國(guó)民黨革命委員會(huì)中央委員會(huì)主席。)
1912年1月1日、孫文は南京で中華民國(guó)の臨時(shí)大総統(tǒng)に就任。同年3月11日には正式な憲法を制定するまでの國(guó)の基本法である「中華民國(guó)臨時(shí)約法」を公布した。同法は「中華民國(guó)の主権は國(guó)民全體に屬す。中華民國(guó)人民はみな平等であり、人身、居住、財(cái)産、言論、出版、集會(huì)、結(jié)社、信仰の自由を有す」と定めている。これによって中國(guó)を封建専制から民主共和制への軌道に引き上げたことは、辛亥革命の最も重要な成果だ。
中國(guó)を徐々に近代資本主義の軌道へ乗せるため、孫文の指導(dǎo)する南京臨時(shí)政府はわずか3カ月余りの存続期間に、一連の改革法令を公布し、政治、経済、教育、社會(huì)の変革を行った。孫文は正に中華民國(guó)の建國(guó)者、民主共和政體の創(chuàng)設(shè)者、経済近代化の強(qiáng)力な推進(jìn)者、社會(huì)風(fēng)習(xí)の積極的な変革者であった。
辛亥革命に參加した林伯渠は1941年に「帝政を経験したことのない多くの青年は、辛亥革命の政治的意義をよく過(guò)小評(píng)価するが、これは不思議なことではない。彼らは數(shù)千年続いてきた専制政體を覆すことがどれほど大変な事だったか実感できないのだから」と感慨をもらしている。かつて皇帝は神聖不可侵、至高無(wú)上だった。皇帝ですら打倒できた今、古臭く、腐敗した物で捨て去ることのできないものなどあるだろうか?「臨時(shí)約法」はこれまでの常識(shí)を打ち破り、「中華民國(guó)の主権は國(guó)民全體に屬す」と初めて明確に宣言した。普通の庶民がこれまでの「子民」「臣民」「蟻民」から、急に國(guó)の主に変わった。なんと凄まじい変化だろう!このことが社會(huì)生活全體と人々の思考に與えた巨大な衝撃は推して知るべしだ。思想の水門(mén)がひとたび開(kāi)かれれば、溢れ出す思想開(kāi)放の奔流を遮ることはできない。辛亥革命は中國(guó)を數(shù)千年間統(tǒng)治してきた君主専制制度を一挙に覆し、その後の中國(guó)革命に道を開(kāi)いた。こうした不朽の成果は特筆大書(shū)に値する。
歴史発展の大きな趨勢(shì)から見(jiàn)て、辛亥革命が中國(guó)史の重要な分水嶺であったことは間違いない。辛亥革命は中國(guó)の伝統(tǒng)社會(huì)を終結(jié)させる一方で、中國(guó)史に新紀(jì)元を切り開(kāi)いた。時(shí)が経つにつれて、後者の意義はますます明らかになってきている。その政治目標(biāo)を最終的に実現(xiàn)することはなく、中國(guó)の姿を根本から変えることもなかったが、辛亥革命は畢竟、偉大な民主主義革命であった。それは民主思想の大規(guī)模な広まりと民主主義革命行動(dòng)の嵐のような広がりを伴い、極めて重要な世論喚起作用を果たした。また、民主主義革命の実現(xiàn)によって、全國(guó)の庶民は極めて得難い民主主義の教育と洗禮を経験した。
つまり封建専制を覆し、皇帝統(tǒng)治を覆したこの大規(guī)模な社會(huì)革命は、中國(guó)人にとって深く直接的な民主の教育だったのだ。辛亥革命は中國(guó)近代化への道を切り開(kāi)き、中國(guó)社會(huì)後退のあらゆる可能性を斷ち切ったのだ。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2011年9月6日