今年は中國(guó)抗日戦爭(zhēng)(日中戦爭(zhēng))勝利70周年であり、世界反ファシズム戦爭(zhēng)勝利70周年でもある。空前の規(guī)模で全世界に及んだ世界反ファシズム戦爭(zhēng)は、20世紀(jì)における人類の正義と邪悪、光明と暗黒、自由と奴隷化との命がけの戦いであった。この戦いにおいて、中國(guó)抗日戦爭(zhēng)は世界反ファシズム戦爭(zhēng)の重要な一部であり、中國(guó)の戦場(chǎng)は邪悪なファシズム勢(shì)力に抵抗するアジアの主戦場(chǎng)であり続けた。中國(guó)國(guó)民は中國(guó)共産黨の唱える抗日民族統(tǒng)一戦線という偉大な旗の下、ファシズムに対する最終的な勝利のために、不滅の歴史的貢獻(xiàn)を果たした。中華民族は世界反ファシズム戦爭(zhēng)の勝利のために甚大な民族的犠牲に耐え、中國(guó)抗日戦爭(zhēng)は世界反ファシズム戦爭(zhēng)において非常に重要な位置を占めた。
第一に、世界人口の4分の1を占める中國(guó)國(guó)民は日本ファシズムの侵略を最も早く迎え撃ち、人類の正義の勢(shì)力が邪悪なファシズム勢(shì)力を迎え撃つ戦場(chǎng)を切り開(kāi)いた。世界反ファシズム戦爭(zhēng)の幕を切った1931年から1937年前半までの、日本ファシズムの侵略に対する中國(guó)の抵抗、反撃は、極めて困難な環(huán)境の中で行われた。ファシズムの侵略と拡張を前に、英仏米など歐米大國(guó)は自國(guó)の利益の観點(diǎn)から、近視眼的な「中立」または「不干渉」政策を取った。客観的に見(jiàn)て、これは獨(dú)日伊ファシズムを大目に見(jiàn)て、黙認(rèn)するもので、ファシズム集団の侵略の気勢(shì)を増大させた。中國(guó)國(guó)民は極めて困難な環(huán)境の中、奮起して日本ファシズムの武裝侵略を迎え撃ち、中國(guó)征服、アジア征服、世界支配という日本ファシズムの企てに自らの血肉で抵抗し、反撃した。これは確かに國(guó)家?民族の存亡をかけた戦いであったが、同時(shí)に人類の進(jìn)歩の事業(yè)のための戦いでもあった。中國(guó)國(guó)民はファシズムに抵抗する重任を最も早く擔(dān)い、中國(guó)抗日戦爭(zhēng)は人類の正義の勢(shì)力が邪悪なファシズム勢(shì)力を迎え撃つ戦場(chǎng)を切り開(kāi)き、世界反ファシズム戦爭(zhēng)の幕を切った。
第二に、14年間に及ぶ中國(guó)抗日戦爭(zhēng)は壯大な規(guī)模で、日本ファシズムを迎え撃つ主戦場(chǎng)であり、世界反ファシズムの世界の主戦場(chǎng)でもあった。中國(guó)抗日戦爭(zhēng)は「九一八」事変(満州事変)に始まり、1945年9月の中國(guó)の勝利で終結(jié)するまで14年間の長(zhǎng)きに及んだ。特に1937年7月7日の盧溝橋事変(盧溝橋事件)によって、日本ファシズムは対中全面進(jìn)攻を発動(dòng)し、戦火を華北、華東、華中、華南地域まで拡大。中日戦爭(zhēng)は5000キロの長(zhǎng)きに及ぶ正面切った戦場(chǎng)と130萬(wàn)平方キロメートル余りの敵後方地域で行われた。中國(guó)と日本ファシズムの交戦兵力は最大時(shí)1000萬(wàn)人余りに及んだ。中國(guó)軍は500萬(wàn)人近く、民兵は200萬(wàn)人、日本軍は200萬(wàn)人、傀儡軍は100萬(wàn)人余りだった。長(zhǎng)い月日を費(fèi)やした戦爭(zhēng)期間、中國(guó)軍は20回余りの會(huì)戦、200回余りの重要な戦役を行った。このうち八路軍、新四軍が千人以上の敵を殲滅した戦役は70回余り、大小の戦闘は20萬(wàn)回近くに達(dá)し、日本軍150萬(wàn)人余りを死傷させ、または捕虜にし、傀儡軍118萬(wàn)人を殲滅した。戦爭(zhēng)終結(jié)時(shí)には日本軍128萬(wàn)人余り、傀儡軍146萬(wàn)人の投降を受け入れた。米英軍が太平洋の戦場(chǎng)で日本に與えた損失は124萬(wàn)人余り(インド?ビルマ作戦時(shí)に米英中が共同で殲滅した敵16萬(wàn)人余りを含む)、ソ連軍が中國(guó)東北部に出兵して殲滅または捕虜にした敵は67萬(wàn)人余りだ。比べてみると、中國(guó)の戦場(chǎng)の重要な位置が見(jiàn)てとれる。事実が示すように、中國(guó)抗日戦爭(zhēng)は日本ファシズムを打ち負(fù)かす主戦場(chǎng)であり、世界反ファシズム戦爭(zhēng)のアジアの主戦場(chǎng)でもあった。