61年前の春、西蔵(チベット)地方政府と上層部の反動集団が発動した武裝勢力反亂が平定され、國務院は舊チベット地方政府に解散を命じた。農(nóng)奴の解放を核心とした大衆(zhòng)による民主改革運動がチベット全域で展開され、暗黒の封建的農(nóng)奴制度が終結(jié)し、高原の人々は社會主義制度を奉じるようになった。新華社が伝えた。
61年の間に世の中は移り変わり、社會主義の中國という大きな家庭の中で、チベットの各民族の人々は貧しく後れた古いチベットを、経済が繁栄発展し、社會が全面的に進歩し、生態(tài)環(huán)境が優(yōu)れ、人々が幸せに暮らす新しいチベットに作り替えた。今や高原の肥沃な土地は、歴史的に偉大な飛躍の時を迎えつつある。
2020年の春、約束通り拉薩(ラサ)の地に降り立つと、小昭寺近くの吉崩崗コミュニティの庭園は桃の花が満開だった。この舊チベット貴族の荘園だった土地は、今では920世帯の普通の人々の故郷だ。
89歳の仁増さんは夫婦でこのコミュニティに暮らして60年になる。「若い頃は貴族の荘園に住んでいて、仕事は永遠に終わらず、しょっちゅう罰として食事を抜かれた。飢えと苦痛がこれまでの人生で最も印象深い記憶だ」という。
1959年まで、チベットの人口の5%に満たない農(nóng)奴の主人およびその代理人が、チベットのほぼすべての土地、牧場、大部分の家畜を占有し、人口の95%の農(nóng)奴は生産資材と身體の自由をもたなかった。奴隷制がほぼ根絶された20世紀中頃にあって、世界最大の農(nóng)奴制の堡塁が青蔵高原になお存在していた。
チベット地方政府と上層部の反動集団は農(nóng)奴制を「永久不変」にしようと畫策し、59年3月10日に國外の反動勢力の支援を受けて武裝反亂を起こした。中國共産黨は歴史の流れとチベットの人々の願いに従って、反亂を迅速に平定し、各民族の人々を指導して民主改革を行った。チベットは社會制度の重大な変革期を迎えた。
奴隷制度による妨害から脫卻し、制度的保障によって新しいチベットの発展は急行車線に乗った。80年より、中央政府はチベット工作座談會を相次いで6回開催し、特に中國共産黨第18回全國代表大會(十八大)の開催以降、習近平総書記による新時代の中國の特色ある社會主義思想の指導の下、チベットの各種事業(yè)は歴史的にみて最良の発展のタイミングを迎えた。