蝙池
王府には「凹」形の池がある。こうもりに似ていることから、名前は「蝙池」。「蝙」と「福」は発音が同じであるため、人びとの神の加護を得たいという願望にうまく調(diào)和している。そのため、庭園を修復(fù)した際に至るところにこうもりに似た図案が設(shè)けられた。水が西から東へと流れるのは資産の流失を意味するため、蝙池の水は東から西へと流れている。蝙池の周囲にノニレの木がある。春が來るたびに、銭に似た小さなノニレの実「榆銭児」が次々と池に落ちる。「銭」が池に落ちることから、蝙池は「聚寶盆」(寶が集まる盆)とも呼ばれ、「福」と「財」の寓意があるので、主人の富貴と吉祥を加護できると言われる。
安善堂
蝙池の後ろ(北側(cè))のホールは「安善堂」と呼ばれ、後ろ花園の中軸線上にある中心的な建築物。もともと恭王府が重要な賓客をもてなしたところだった。安善堂の前に「抱廈」、脇に回廊があり、東西の「配房」(正房)と結(jié)ばれている。羽を広げたこうもりのようで、「蝙」なり、「福」なり、前面の蝙池と互いに映し、配置の精密な広壯な建築物である。
彫刻石柱
水榭(魚を観賞する東屋)
花園西路の景観は水が主體。陸を舟とした、古人の畫舫(美しく飾った舟)の意を模して湖心亭が建てられた。碧水の上で、蓮を観賞し、釣り糸を垂れ、詩を吟じ、絵を描く。まさに江南山水の境地に富んでいる。
噴水竜頭
清代の北京では、住宅に流水を引き入れるには、皇帝の特別の許可が必要だった。恭親王府はこの特別の光栄を得た數(shù)少ない王府の一つ。水中の亭は宴に賓客を招待する際に使用された。和珅は園を造る際、許可を得ずに流水を引き入れたが、これも和珅の死罪の一つとなった。
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