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清代の「恭王府」

 

大劇樓




化粧している京劇の俳優

 

著名な大劇樓は純木造建築。清代、南方の官吏は恭親王の関心を買おうと、とくべつに南方の名匠に造らせたと言われる。南方と北方では気候に差があるので、純木造建築が北方で百數年から今日まで完全な形で保存されているのは非常に珍しい。劇樓のホールは非常に高大だが、音響効果に非常に優れ、最も離れたところでも、舞臺上の歌詞ははっきりと聞こえる。不思議に感じさせるのは、ホールの上方いっぱいに逆さに吊るされた藤の蔓が描かれていることだ。もともと當時、このホールのような劇樓は北方では非常に少なく、慈禧太后の有名な大劇樓でさえ庭で座って観劇した。恭親王は罪を得ることを懸念し、天井いっぱいに藤の蔓を描き、藤の蔓の棚でホールではない、との意を示そうとした。実に並々ならぬ苦心が窺える。

 



流杯亭(沁秋亭)

 



曲水流觴

 

沁秋亭は蘋錦園の東南側にある。亭內を溝がめぐり、山から水を人工の溝に注そぐようにしたのは、晉の修楔の「曲水流觴」(曲水、酒杯を流す)という典故を手本にしたものである。

流杯亭と呼ばれるには由來がある。親しい友を招待してここで酒を飲み、心ゆくまで酒を楽しむ時には、詩を詠じて競爭した。酒杯が流れてきて自分の前で止まれば、その人は詩をつくらなければならない。できない人は罰の酒を飲まされる。當時の和紳も風流な人物だったと想像される。

「亭」の字のように灣曲しているので、酒杯は水に放たれると、水の行く道に沿って流れていくことから、「流杯亭」と呼ばれた。

 

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