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作文コンクールに見る中國人と日本人
発信時(shí)間: 2007-11-15 | チャイナネット

2005年から、二つの作文コンクールを毎年主催している。「日本人の中國語作文コンクール」と「中國人の日本語作文コンクール」である。その特徴は、中日両國の人々が互いの言語で書くという點(diǎn)だ。書き上げるのに時(shí)間がかかる作文を書くことによって、思考が深まり、相互理解や民間交流をより促進(jìn)することができると考えてのことである。

日本と中國の國民性の違い

この作文コンクールを主催する中で、日本と中國の応募者の性格の違いが見えてきた。まず、応募數(shù)である。「中國人の日本語作文コンクール」の応募數(shù)は、第一回は1890人、第二回は1616人。実に成功したコンクールだと思われるかもしれない。しかし、同時(shí)期に行った「日本人の中國語作文コンクール」は、第一回が243人、第二回が228人であった。しかも、両回とも締め切りを二カ月延長してのことである。

今、電卓を弾いてみたら、日本人の応募者は、中國人の応募者の7分の1から8分の1。広報(bào)が足りなかったのだろうと言うことなかれ。もちろん、小さな小さな研究所であるため、広報(bào)不足は否めないが、中日両國で同じだけ力を入れた。

この中日の応募者の差を念頭において、次の話を聞いてほしい。

中國の応募者からは、募集開始から続々と応募があった。締め切り2カ月前には、すでに約1300人もの応募があった。

しかし、文章を見るとまさに玉石混淆である。チャレンジ精神のもと、うまかろうが、うまくなかろうが、応募してみるといった感じであった。日本語により親しんでもらうため、手書きを応募條件にしたので、難読の作文も多くあった。

それにくらべて、日本の応募者は、受け取った作品を見ると、非常に真面目である。しかも、締め切りギリギリでないと応募しない。皆さんは、學(xué)生時(shí)代などに覚えがあるだろうか?(うちの唯一の研究員は、修士課程を修了したばかりだが、尋ねてみると頭をかきながら笑っていた)

これは、日本人が自分の満足したものでないと応募しない、という傾向があるからではないだろうか。自分が思う一定の水準(zhǔn)に達(dá)しないと、応募を考慮もしない。そのため、中國人である私は心配で、締め切りを延ばした。ところが締め切りが迫るほど、応募數(shù)は日増しに増え、ついには遅くなったと事務(wù)所に直接持ってきてくれた大學(xué)生まで現(xiàn)れたのだった。

封筒を開けると、幾帳面にほとんど全ての人がタイトル?氏名?連絡(luò)先を明記している。なんと受付業(yè)務(wù)がやりやすかったことか。

右の寫真は西池袋で行われている「日曜中國語會(huì)」。これまでの中國語作文コンクールの受賞者たちが中核となっている。

中國の応募者の中には、タイトルどころか、氏名や連絡(luò)先の記入漏れも多く、果てはタイトルも氏名も連絡(luò)先もすっ飛ばす強(qiáng)者まで現(xiàn)れた。せめて、どれかひとつでも書いていてくれれば応募者を探しやすいのだが、このときはほとほと困った。せっかく応募してくれた気持ちを無駄にしたくなく、ある大學(xué)からまとめて送られてきた作文のひとつだということを手がかりに、大學(xué)の先生と一緒に探してやっとみつかったという思い出もある。

幾帳面で真面目な日本人のエピソードをもうひとつ。先ほど、「日本人の中國語作文コンクール」の締め切りを二カ月延長したと述べたが、その二カ月の間に、一回目の締め切り時(shí)に応募してくれたほとんどの方が書き直したのである。

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