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中國公演後の市川猿之助の手記―蕓術に國境なし |
発信時間: 2009-03-06 | チャイナネット |
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(市川猿之助は1955年の中國での公演の様子を、中國から帰國後すぐに以下の様に記した。) 正直にいって、初めのうち僕は中共行を非常に簡単に考えていた。――日本の歌舞伎を中共の人たちに観てもらう――それも結構、おもしろいことだろうくらいに――ところが出かける日がだんだん迫って、色が濃くなりはっきりしてくると、心が重くこわくなってきた。 中共へ出かけて行き、向こうの人たちに日本の歌舞伎がどんな印象を與えるか、考えてくると、これは相當大きな問題だと思うようになってきた。 ところが、いざ彼方に著いて、いよいよ北京での初日の蓋を開けてみると、実に観衆がまじめで、熱心に見物してくれる。彼方の観衆の態度は一寸日本では見受けられぬくらいで、もちろん幕があいてから入って來るとか、芝居が終わらぬ中に席を立つとかいうようなお客は一人もいない。 こうした人たち――見物の気持ちがひしひしと僕の胸にこたえてくる。そしてこれは一生懸命にやらなければならぬなと、強く感ずるようになってきた。 僕はいつ、どこの芝居でも一生懸命……寧ろ熱演しすぎるという批評を今までも受けている。が、今度の芝居の場合は、ふだんとは又ちがった気持ちで、心を引きしめ大いに張切って演った。 ……ところが、不思議なこともあるもので、芝居を演っているうちに、今自分は中共の舞臺で、中共の人たちを見物として、芝居を演っているというようなことが、すっかり頭の中からなくなって、いつもの通り、日本の舞臺で、「勧進帳」を演り、「吃又」を演じていると全く同じ気持ちになってきた。 蕓術に國境がないとでもいうが、見ている人の気持ちが日本の人と何ら変わらない。演っているものの気持ちと観ている人の呼吸がぴったり合って、芝居を通じて一つのものに溶合う境地を味わうことができた。 「チャイナネット」2009年3月6日 |
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