● 江戸時(shí)代になると、長屋の軒先でアサガオの品種改良をするのが「江戸の粋」といわれた時(shí)代があったようです。軒先にシュロ縄を吊るし、アサガオを育て、縄のれんのようにしたようです。アサガオも植物で西日を遮り、蒸散作用による気化熱効果で周囲の空気を一瞬冷やし、その風(fēng)を長屋の中へ導(dǎo)き、夏の涼を楽しんだのでしょう。
板橋區(qū)立高島第五小學(xué)校の緑のカーテン
板橋區(qū)立高島第五小學(xué)校撮影(NPO法人緑のカーテン応援団)
● 江戸の粋は、様々な本でお読みになっているかもしれませんが、「傘傾げ(かさかしげ)」なんかは、面白い「粋」で、傘の先が見知らぬ通行人に當(dāng)たらぬよう、傘を斜めにして、相手にぶつからないように配慮する江戸しぐさのひとつです。このような周囲と共生する感覚を江戸時(shí)代の日本人は持っていたように思います。
● 第二次世界大戦中、東京は空爆され、建物が焼失し、ほぼ更地になりました。戦後、東京は、様々な産業(yè)を興し、一極集中型の都市を形成していきますが、その過程で「コンクリート住宅」、今で言うマンションの概念や技術(shù)が輸入されてきました。1950年に住都公団が発表した2DKスタイルの住宅は、アメリカの文化を匂わせるダイニングキッチン形式のテーブルと椅子で生活する提案でした。高度成長時(shí)代には3C(エアコン、車、カラーテレビ)といわれ、コンクリート住宅の機(jī)密性を活かし、利便性を追求するマーケットと一體化し、極端に言えば外部空間と室內(nèi)空間を切り離しても十分に満足できる、いやそれ以上の快適な生活をするようになりました。でも、今から振り返ってみると、大きくエネルギーを消費(fèi)する住宅でもありました。いま2009年ですから、約60年前の出來事ですが、この60年間で、その新しいマンションという暮らし方(外部空間との斷絶)は常識化していくのです。
● 緑のカーテンは、そんな切り離されてしまった外部空間と室內(nèi)空間を繋ぎ、外の気持ちよさを、緑のカーテンで涼しくすることで繋ぎ、あまりエアコンに頼らなくても、涼を感じることのできる工夫なのです。
● 夏を迎える支度。つまり「夏支度」。日本人は、24の四季を大切にし、大雑把に言えば春夏秋冬ですが、それを更に細(xì)分化し、その細(xì)やかな変化を楽しむ感性を持っているといわれます。(私(=鈴木雄二氏)も素直に共感しています。)その僅かな季節(jié)の変化にしたがい、厳しく暑い夏を快適に凌ぐための準(zhǔn)備、つまり夏支度が「緑のカーテン」なのです。いいですよね。僅かな季節(jié)の変化のために、「支度」をして、季節(jié)変わりを待つ感覚って。
● その夏支度を?qū)Wんでいただこうと、2003年に板橋區(qū)立板橋第七小學(xué)校の総合的な學(xué)習(xí)の時(shí)間を使って、緑のカーテンを通した環(huán)境教育を「緑のカーテン応援団」も手伝いながら実施しています。この教育は、地域の専門家がその専門性を活かし、子どもたちに直接教えたり、體験したりするものです。例えば、體感溫度(気溫、放射熱、濕度、気流の関係)の知識を緑のカーテンの內(nèi)部と、日の當(dāng)たる校庭とで、體感しながら學(xué)んだり、植物を育てる際の水(雨水)の大切さなどを?qū)Wび、地球上に真水といわれる水がどれほど少ないか、また土の偉大さや、目に見えない微生物の素晴らしさなどを?qū)Wびます。きっと萬物に神が宿る的な感覚をもつ日本人にとっては、感じ入る學(xué)びなのではないかと、こどもの顔付きを見ながら感じています。
● いまその學(xué)びが全國に広がり、様々な地域で行政や市民、企業(yè)が少しづつではありますが、社會運(yùn)動のうねりのような現(xiàn)象で広がってきています?!?/p>
「緑のカーテン応援団」は、諸外國との交流も希望しているということです。この活動に関心を持たれた方は、以下に連絡(luò)をしてください。
info@midorinoka-ten.com
(井出敬二 前在中國日本大使館広報(bào)文化センター所長)
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「チャイナネット」? 2009年7月9日
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