日本人は、自國民(つまり日本人)の國民性について論じることを多くしてきたと言えるようです。日本においては多くの「日本人論」の本が出版されています。たとえば以下の本はとても有名なものです。
●中根千枝著『タテ社會の人間関係―単一社會の理論』講談社現代新書、1967年
●イザヤ?ベンダサン著(山本七平訳)『日本人とユダヤ人』文藝春秋、1970年(著者はユダヤ人のような名前ですが、実際は山本七平氏が書いたものです。)
●土居健朗著『「甘え」の構造』弘文堂、1973年
他にも沢山の本があり、戦後、千點近い日本人論の本が出版されたとも言われています。
文化人類學者で前文化庁長官の青木保氏は『「日本文化論」の変容―戦後日本の文化とアイデンティティー』(中央公論社、1990年)という本を出版されています。この本は、戦後から1990年までの約40年の間に出版された日本人論について、四つの時代にわけてその変遷を分析されています。
● 1945年~54年:「否定的特殊性の認識」:主な論者は川島武宜、桑原武夫
● 55年~63年:「歴史的相対性の認識」:加藤周一、梅棹忠夫
● 64年~83年:「肯定的特殊性の認識」中根千枝、作田啓一
● 84年以後「特殊性から普遍性へ」:尾高邦雄、山崎正和
青木氏は日本における日本人論は時代とともに変遷があったこと、そしてその背景として當時の國際社會において日本が置かれた環境にも留意する必要があるということを示されているわけです。
日本に比べると、中國においてはあまり「中國人論」の本が出版されていないような印象があります。魯迅や林語堂は中國人についていろいろな興味深い考察を殘しており(注1)、それは北京の本屋でも買うことができます。また、中國文化や中國の習慣についての本はもちろん多數中國で出版されています。しかし、中國人の國民性がどのようなものか、ということを考察した本(特に戦後に出版された本)は少ないように思います(私もよく知らないので、このブログの読者の皆さんから、中國人論の本をご教示いただければありがたいです)。日本は比較的均質的な社會であるのに対して、中國は多様な社會であり、そのため書きにくいという面はあるのかもしれません。他方、香港、臺灣の出版社からは中國人論の本が比較的多く出版されているようにも見受けられます。
「日本人論」とか「中國人論」を議論する際に注意しないといけないのは、それぞれ、一概に國民性というのを語るのは難しく、學問的?科學的な議論というよりも、ともすればジャーナリスティックで、印象論的で非科學的な議論になりがちということがあります。國民性は、時代や場所によっても大きく変化してきています。日本人は集団主義的だとよくいわれますが、それもこの10年、20年で大きく変化しています。ステレオタイプ、紋切り型で國民性を論じ、「日本人はこういう人たちだ」「中國人はこういう人たちだ」と斷定することには大きな危険があります。
以上のことに注意しながらも、日本人が「日本人論」を論じることと、中國人が「中國人論」を論じることとの間には違いがあるようだ、というのが私の観察(問題意識)です。そして関連する問題意識を述べている中國人の學者がいるので、ご紹介します。孫隆基氏(1945年重慶生まれ;上海、香港、臺灣、アメリカ、カナダで研究?指導されている學者)が書いた本から、関連する部分を引用します(『中國文化的深層結構』2005年10月、花千樹出版)。(日本語訳は要旨。)
「日本人が自己の分析をすることはすでに長く行われており、この點で日本人は一種のマニアである。1980年代に『日本人論』がはやったこともその例である。中國人が中國人自身の性格などを分析することは非常に少ない???。中國人が決して社會批判と文化批判をしないということではない。しかし、昔から現行の狀態の批判は全て『道徳を整える』という態度、また『まちがいを正す』、民衆に対して『教育を強める』、そして『昔はよくて今はよくない』という態度になりがちである。『五四』時代は例外であろう。」(注2)
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孫隆基氏は、日本人が「日本人論」を盛んに行う理由は、自分が特異ではないか、自分が不正常ではないか、という関心や、「不安全感」と「うぬぼれ(自大感)」の間にあって、外から見られることに過度に敏感になっているからだ、と述べています(注3)。
これらの説明があたっているかどうかは必ずしもよく分かりませんし、それこそ印象論で非科學的に論じている危険がないか注意する必要があります。それでも、たしかに五四時代が例外だったという指摘は考えさせられる指摘だと思います。また、戦後日本がめざましい経済成長をし(1953年~73年)、またバブル経済の時期(1980年代後半)には、歐米諸國との間で経済摩擦(貿易、投資面)もあり、歐米から「日本(人)は異質だ」という批判がありました。そのような歐米からの指摘が「日本人論」を活発にさせた一つの要因だった面はあったかもしれません。日本の対歐米パブリック?ディプロマシーも、「日本異質論」に対応することを主眼に展開されていた時期もありました。最近は、日本は歐米との経済摩擦が少なくなり、「日本異質論」は少なくなってきたように思います。
上記の観點からは、中國のめざましい経済成長や対外投資の著増など中國の存在感が世界の中で顕著に増していく中で、経済その他で摩擦が起き、歐米から見て「中國(人)は異質だ」という批判を引き起こすとすれば、それに対して中國國內からどのような反応がでてくるのか興味があります。一つの反応としては「中國人論」が盛んになっていくかもしれません。もし日本と中國の反応で異なる面があるとすれば、それはなぜなのか、また考察すべき論點になるのだろうと思います。
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(注1) たとえば、魯迅は「隨想録38」の中で「うぬぼれ(自大)」について論じています。(『新青年』5巻5號掲載、1918年10月;『魯迅全集』2005年、人民文學出版社、第1巻pp327-332)。また林語堂「吾國與吾民」(1935年)は日本でも翻訳が出版されています。
(注2)この部分の中國語原文:「日本人対自己的分析由來巳久、而且経成了一種狂。80年代『日本人論』之風靡、只是其一斑。我們很少見到中國人対自身人格形態的分析、???。中國人並不是沒有社會批判與文化批判。但是、自古以來、対現行狀態的批判都是採取『道徳重整』的態度、亦即是『整頓歪風』、対民衆『加強教育』、而其意向總是『古勝於今』『厚古薄今』『以古非今』。『五四』時代或者是一個例外。」)
(注3)この部分の中國語原文:「日本人対自身的高度敏感又是従何而來????日本是恒常地與外界比較的、而且總擔心被別人比下去。???當前大盛的『日本人論』、有一大部分是在探求自己是否特異、甚至是否不正常。???極度的不安全感與自大感之間、必然造成」
(井出敬二?前在中國日本大使館広報文化センター所長)
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「チャイナネット」? 2009年9月27日