中國(guó)海警局の艦船7隻が10日、釣魚(yú)島(日本名?尖閣諸島)から4海里の場(chǎng)所に入って巡航を行った。昨年9月11日に日本政府が釣魚(yú)島の「購(gòu)入」を発表以降、中國(guó)政府の公務(wù)執(zhí)法船が釣魚(yú)島領(lǐng)海內(nèi)で行った巡航は59回になり、領(lǐng)海內(nèi)での巡航時(shí)間は28時(shí)間36分と最長(zhǎng)だった。最も近い時(shí)には釣魚(yú)島からわずか0.28海里を巡航した。
この1年、中國(guó)は釣魚(yú)島及び附屬當(dāng)初の領(lǐng)海基線(xiàn)を公表、釣魚(yú)島の天気予報(bào)を発表し、國(guó)連に東中國(guó)海の大陸棚境界案を提出し、釣魚(yú)島海域で空海連合の巡航取り締まりを行い、確固とした態(tài)度と有力な措置によって釣魚(yú)島の主権維持と管轄権行使の決意と能力を示した。釣魚(yú)島の歴史に新たな1ページを開(kāi)いた。
この1年にわたり中日及び関係國(guó)が釣魚(yú)島問(wèn)題をめぐって展開(kāi)した闘爭(zhēng)と角逐を振り返るといくつかの點(diǎn)が見(jiàn)えてくる。
(1)日本の「島購(gòu)入」茶番が釣魚(yú)島の新生を促した。日本が中國(guó)の強(qiáng)い反対を押し切り強(qiáng)引に「島購(gòu)入」計(jì)畫(huà)を?qū)g施し、中國(guó)側(cè)をもう我慢できない狀況まで追い込まなければ、中國(guó)側(cè)はおそらく今のような姿勢(shì)と方法で釣魚(yú)島問(wèn)題の解決を進(jìn)めることはなかっただろう。
(2)中日の釣魚(yú)島をめぐる対立は1年になる。政治、経済、文化関係に全面的なダメージを受けたが、どちらも妥協(xié)の兆候がない。この闘爭(zhēng)は1つの島をきっかけに起きたが、爭(zhēng)っているのは1つの島だけではなく、歴史の恩と仇、今後の地域構(gòu)図の位置づけに対する期待を絡(luò)んでいる。日本は東アジアのナンバー2に甘んじることができず、上昇期の中國(guó)は日本のやりたいようにしておくはずがない。対立はまだ続き、中日関係の短期內(nèi)の改善は難しいだろう。