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「地名」で歴史を記録する――「受降村」をたずねて

「地名」で歴史を記録する――「受降村」をたずねて。

タグ: 浙江 日本軍 受降村

発信時間: 2015-08-17 14:01:23 | チャイナネット | 編集者にメールを送る


「70年が経ち、忘れている日本人もいるかもしれない。しかし我々中國人は永遠に忘れない。我々こそが勝利者だ」。

浙江省杭州市富陽區に、中國で唯一、日本の投降にちなんで名づけられた村がある。「受降村」だ。かつて村の黨支部書記で、現在は村の老年協會副會長を務める陶土祥氏は、村の名前であるこの三文字が廃れることはないと語る。

史料によると、1945年8月15日、日本は無條件降伏を受け入れた。中國戦區では投降區を16に分けており、浙江省はその1つだった。1945年9月4日、日本軍第133師団の師団長である野地嘉平は、當時の富陽県長新郷の宋殿村に、師団參謀長と隨行員を派遣し、第3戦區の指揮官と浙江省政府に対して投降の申し入れを行った。9月15日、司令長官の顧祝同を擁する浙江省は投降を受け入れ、日本軍第133師団の杭州での武裝解除を承諾した。

富陽區史によると、「投降申し入れの受け入れ地點」は富陽県の長新郷で、1946年に隣接する仙昇郷と合併し「受降郷」となり、1990年代には「受降鎮」に名を変えた。現在の「受降村」は2007年に富陽區中秋村と大樹下村が合併して作られたものだ。當時の「投降受け入れ地點」である宋殿村は現在、「受降村」に屬する村落となっている。

浙江省の人々、特に富陽區の「投降受け入れ地點」に住む古い村民にとって、「投降受け入れ」には深い思い入れがある。2007年に村が合併する際、「受降村」の名前が消えるかも知れない局面があった。「多くの村人が反対した。特に年配の人は『何があっても同意しない』」と言っていた」と、富陽區史を編纂する研究員、張建華氏は述べる。その結果、この名前が殘ることになった。

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