「勉強していた頃、受降村を通るたびに父親が、『この村はなぜこの名前なのか知っているか? ここは日本人が我々に投降を求めに來た場所なんだ』と口にしていた」と、かつて富陽中學(xué)で學(xué)んだ周亦穎さんは言う?!复螭胜盲?、父親の気持ちが分かるようになった」。
陶土祥氏の岳父である林鎮(zhèn)南氏は當(dāng)時、日本軍に強制されて會計の仕事をしていた。彼は中日雙方がこの地で「投降の申し入れと受け入れ」を行う経緯を目撃していた。
岳父の話を聞いた陶氏によると、當(dāng)時、一般の村人の立ち入りは禁止されていた。投降してきた日本兵をなぐり殺すのを避けるためだったと思われる。日本軍が部隊の名簿や武器裝備の名簿、防備の配置図などを恭しく中國の司令官に差し出したとき、岳父は思わずつぶやいたという?!袱猡闋帳辖Kわったのだ……」。
中國人民抗戦勝利70周年を記念し、富陽區(qū)政府は「受降村」のそばに「浙江抗日戦爭勝利記念館」を作ることを決定した。
「日本人がここを侵略し、暴行を働いたことを我々が忘れることはない。そして我々が日本軍を打ち負かし、偉大な勝利を収めたことはさらに忘れることはない」と張建華氏は述べる。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2015年8月17日