今年は南京大虐殺80周年だ。80年前のあの寒い冬、中國侵略日本軍は南京を攻略すると、放火?殺人?強(qiáng)姦など悪事の限りを盡くし、中國の軍人?非戦闘員30萬人を殺害した。筆舌に盡くしがたいほどの凄慘さで、世界に衝撃を與えた。
歴史は日本軍國主義によるこの暴行を恥辱の柱に打ち付けている。しかし日本國內(nèi)では、南京大虐殺を否定しようと試みる勢力が常に存在する。特に近年、日本の政界と社會の右傾化が強(qiáng)まり、南京大虐殺を否定する言行が勢いに乗り、手段も多様化している。
日本當(dāng)局だけではなく、日本社會も南京大虐殺という歴史の真相をタブー視している。右翼學(xué)者及び政治家はもっともらしい「論拠」を言いふらし、その謬論を支えようとしている。一部のいわゆるオピニオンリーダー及び右翼メディアがこれを助長し、そもそも侵略の歴史をあまり理解していない多くの日本人を信じ込ませている。
ところが日本にも、南京大虐殺という歴史の真相の調(diào)査?研究に長期的に従事している正義の人がおり、右翼勢力の南京大虐殺を否定する噓と斷固闘爭している。新華社の記者はこのほど、代表的な南京大虐殺問題専門家及び歴史學(xué)者らを取材した。彼らは反論の余地なき事実と論証により、右翼勢力が捏造し流布しようとする主な5つの噓を論破した。
噓その一:南京大虐殺は戦勝國が日本に報(bào)復(fù)するため「東京裁判」(極東國際軍事裁判)で捏造したものであり、裁判に加わったインド人判事は被告の無罪を主張した。
日本軍中國侵略戦爭歴史學(xué)者の森正孝氏:東京裁判では南京大虐殺の生存者11人が出廷しており、さらに米國人牧師のマギー、醫(yī)師のウィルソン、金陵大學(xué)教授のベイツなど、「難民區(qū)」(國際安全區(qū))の「第三者」も証言している。これらの証言の他に、多くの証人が宣誓した上で証言している。また難民區(qū)の資料、裁判所の検死報(bào)告、慈善団體の埋葬の記録、ユダヤ教指導(dǎo)者の書狀など、証拠は十分だ。
一橋大學(xué)歴史學(xué)教授の吉田裕氏:インド人判事のパールは被告の無罪を主張したが、これは英仏などの戦勝國に敗戦國を裁く資格が無いと考えたからだ。しかしパールも事実上、日本の占領(lǐng)地における戦爭犯罪を認(rèn)めている。日本の右翼はパールの主張の都合のいい部分だけを抜き出し、意図的に省略している。これは「日本は無罪」であることを証明しようとしているからだ。
東京裁判中國人検察官?向哲濬の子、上海交通大學(xué)東京裁判研究センター名譽(yù)主任の向隆萬氏は「東京裁判は人証と物証を強(qiáng)調(diào)しており、被告人にも十分な権利が與えられた。検察側(cè)と弁護(hù)側(cè)は、國際化されていた。裁判において、南京大虐殺に関する人証と物証は數(shù)多くあり、うち外國人の証言が特に説得力を持っていた」と指摘した。
噓その二:南京大虐殺は當(dāng)時(shí)知る人がいなく、中國國內(nèi)と世界のメディアも當(dāng)時(shí)何の反応も示さず、後になって作り出されたものだ。
森正孝氏:當(dāng)時(shí)南京にいた外國人記者は日本軍の暴行を目撃すると、直ちに記事にした。虐殺開始から數(shù)日で、NYタイムズやシカゴ?デイリー?ニュースなどのメディアが関連記事を掲載した。1983年1月、世界の人々は南京大虐殺の存在を知っていた。中國人もこの狀況を知っていた。1938年2月、中國の國際連盟代表の顧維鈞は國際連盟の演説で、南京大虐殺に言及し、全世界に注目を呼びかけた。これは中國側(cè)が早くから具體的な狀況を把握していたということだ。日本側(cè)も東京裁判後に初めて南京大虐殺を知ったわけではない?,F(xiàn)在調(diào)べられる多くの資料によると、當(dāng)時(shí)の外務(wù)省は各種ルートを通じ、日本軍の南京における暴行を知っていた。そのため當(dāng)時(shí)は中國側(cè)も日本側(cè)も全世界も、南京大虐殺のことを知っていた。
南京大虐殺史?國際平和研究院の學(xué)者である胡卓然氏が最近発見した史料によると、當(dāng)時(shí)のノックス米海軍長官はこの大虐殺について、1943年に國際反ファシズム陣営に共通する憤慨を表し、さらにナチスのユダヤ人へのホロコーストと同列に論じた。これは南京大虐殺が発生後、國內(nèi)外で公認(rèn)される日本軍の重大な暴行となったことを証明している。