1978年は、中國の國家戦略に大きな転換が起こった年だ。中日両國は同年8月、「中日平和友好條約」を締結。続く10月22~29日、鄧小平氏が、中國の指導者としては戦後初となる正式訪日を行った。この訪問は、「中日平和友好條約」の批準書交換セレモニーに出席するためのものだったが、鄧小平氏にとっては中國近代化の大戦略を準備するための學習の旅でもあった。中國共産黨第11期中央委員會第3回全體會議の直前に実施されたこの旅の中で、中國の改革開放の総設計者である鄧小平氏は、改革開放の壯大な青寫真を心に描き、中國をいかに発展させていくかを考えていた。
訪日した鄧小平氏は、東京の記者クラブで記者會見を行い、高い注目を浴びた。記者會見には、共同通信?時事通信?ロイター通信?UPI通信?AP通信?AFP通信?DPA通信など有名通信社から400人余りの記者が駆けつけた。中華人民共和國の指導者が「西歐式」の記者會見を行ったのはこれが初めてだった。
中國の近代化に関する質問を受けた鄧小平氏は、実務的で開放的で率直な自らのスタイルを西側記者らに示し、「我々は、今世紀末までの近代化実現(xiàn)を掲げている。そこでいう近代化とは、その頃(20世紀末)の世界の水準に迫った近代化を指す。世界は飛躍的に発展しており、その頃の水準、例えば日本のその頃の水準は、現(xiàn)在の水準を超えたものとなっていることだろう。我々にとっては、日本や歐州や米國の現(xiàn)在の水準に達するだけでも容易ではない。22年後の水準に達するのはさらに困難だ。我々はその困難をはっきりと認識した上で、このような遠大な志を立てた」と答えた。