中國共産黨創設90周年を迎えるにあたり、過ぎし日を回想してみると、中國共産黨の多くの創始者と中國革命の先駆者はいずれも海外で留學、あるいは生活している。日本では、周恩來総理ゆかりの場所は非常に関心を集めている。漢陽樓は百年の歴史をもつ中華料理店。東京千代田區の東北、神田神保町にある。
資料寫真:京都で撮影された周恩來と友人たちの記念寫真
當時、周恩來は日本に留學していたとき(1918-1920年)、いつもここで中國料理を食べながら時局について論じていた。漢陽樓はいまもやはり中國料理店として営業、中日友好関係者が活動を行うために好む場所でもある。
◆獅子頭は総理の大好物
漢陽樓は神保町古書店街の近くにある。周恩來総理と解けない縁から、中日友好関係者が活動を行うために常に通っている場所だ。「中國の芽を見る會」は漢陽樓を會場に選び、著名な作家で、日中文化交流協會々長の辻井喬氏のために中國をテーマにして講演會を開催。「環球時報」記者も招待を受けて參加した。
「駿馬の図を頼りに良馬を探し求めて」、記者は漢陽樓を探しあてた。ふと見ると、入り口上方の木製の看板に「民國元年春漢陽樓」と書かれている。漢陽樓は華人の顧雲海が1911年に開業。店名は非常に意味深く、當時の留學生の希望が託されている。「漢」は漢民族のこと、「陽」は太陽の輝きを表していて、合わせると、太陽が漢民族を照り輝かせているとの意味になる。和田総理長は記者に「何度も変遷を重ねた末、店主は日本人に代わりましたが、店名はずっと変わっていません」と語った。
店內に入ると、壁に多くの書がかけられていて、周恩來総理の詩作「大江歌罷掉頭東」や「雨中嵐山」などもあった。會計処には周恩來総理の日記の日本語版や、その他の関連書籍が置かれている。店主がさらにこの店と周恩來総理に関する歴史的な報道や資料、寫真などを収集して壁に貼っている。周恩來がこの店を非常に好み、歴史の記録に名を殘す名店であることを物語るものではないだろうか。
和田料理長によると、當時、この一帯には非常に多くの中國人留學生がいた。故郷の料理をどうしても食べたいと思っても、行くところはない。當時は中國料理店が非常に少なかったからだ。そこで、時運に乗って出現したのが漢陽樓。上海料理を提供し、しかも學生たちの経済狀況を考慮して、料理はどれも大変安かった。
周恩來総理が好んだ料理をたずねると、和田氏は笑いながら、「獅子頭(ひき肉に片栗粉と小麥粉を混ぜ、団子狀にして油で揚げたもの)と豆腐です」。當時の留學生は決して裕福ではなかったので、いつも豆腐を食べていたという。周恩來総理は19歳、近くにある明治大學で學んでいたことから、この料理店の常連となった。
◆孫文も常にご光來