江南は素晴らしいとよく言われるが、古今を通じてどれほどの詩(shī)人や墨客が秀麗な詩(shī)歌を殘してきたことか。詩(shī)的な境地に達(dá)せなくても、小橋や流水、人家をこの目で見(jiàn)たいと思った。だが、バスを下りると、周囲は現(xiàn)代的な高層ビルばかり。これは求めていた江南の光景ではない。あとで知ったのだが、この數(shù)年の間に開(kāi)発された甪直鎮(zhèn)(ろくようちん)の新市街地だった。建物を通り抜け、橋を三つ渡ると、まるで今日から昨日に戻ったかのような感がある。古くて優(yōu)雅で、秀麗な水郷の風(fēng)景畫のなかに入って行った。 夕日が西の空を赤く染めた。細(xì)波が立つ河にアーチ型の青石橋がかかり、両岸に白壁黒瓦の家々が軒を連ねている。橋上を行く人、水上を行く船、水と橋の光景が非常にうまくマッチしていて、なんとも趣がある。この橋は和豊橋と呼ばれ、宋代(960?1279年)初年の建造。甪直鎮(zhèn)で最古の橋だ。橋面に浮き彫りが施されている。典雅な文様、微細(xì)な彫り、古く質(zhì)樸で荘重さがある。 甪直鎮(zhèn)は江蘇省蘇州市から東南に25キロ行った呉県にある。郊外には湖や沼、沢、池が點(diǎn)在していて、河川が交錯(cuò)している。河や橋、小路が多いことで知られ、「橋の里」と呼ばれる。最盛時(shí)には72基あったが、今は41基しか殘っていない。それでもあちこち歩き回れば、橋の多さに目を奪われてしまうほどだ。大小、風(fēng)格は実に様々で、孔が複數(shù)ある大石橋、単獨(dú)孔の小石橋、幅の広いアーチ型の橋、幅の狹い平らな橋、二列に並ぶ姉妹橋、小川に架かる半歩で渡れる橋……。東部にある正陽(yáng)橋は甪直鎮(zhèn)で最大の古橋。花崗巖で造られていて、長(zhǎng)さ52メートル。線は粗いが、雄大で古色蒼然としている。一方、涼亭の両側(cè)にある小さな東垂虹橋と西垂虹橋はむしろ秀麗だ。橋は甪直鎮(zhèn)では交通の要で、同時(shí)に小路という空間に彩を添えていて、起伏と変化をもたらしている。景色に深みを與え、景観に厚みを與えているのだ。 7000人余りの人々が河に面して建てられた家で生活している。前は通り、後ろは河になっているので、出入りしたり洗濯したりするには非常に便利だ。鎮(zhèn)には狹い通りが9本ある。両側(cè)に商店がぎっしりと並び、商業(yè)活動(dòng)はなかなか活発だ。名物料理も非常に多い。 家と家の間は窓から手を伸ばせば握手できるほどに大変狹い。通りに面した扉は多くがその家の入り口だが、大きな庭のある「邸宅」の通路になっているところもある。薄暗く狹い通路を歩いて行くと、両側(cè)に家々の木戸があったり、通路の先は一世帯が住む小さな庭になっていたり、數(shù)世帯が住む大きな庭があったりする。 大きな庭のある邸宅は昔、富豪が建てたものだ。うっすらとした白壁と黒瓦、反り返った屋根の背、屋根より高く突き出た形の変わった「風(fēng)火壁」(防火用)……。住居は一般に北を背にしてやや西南に偏っており、村のほとんどの家がそうだ。扉や窓は多くが木製で、扉の上には浮き彫りが施され、窓格子の文様は透かし彫りになっている。室內(nèi)には透かし彫りの文様に漆を塗った方形の卓や、背もたれ椅子が置かれていた。非常に古色蒼然としていて、荘重かつ優(yōu)雅だ。庭にはたいてい井戸があって、洗濯臺(tái)やかめ、衣類を干す竹竿に生活の息吹が感じられる。 |