好奇心は命の支えである
新京報:究極の愛と平凡な愛、どちらがいいのでしょう?
渡辺淳一氏:どのようなことであっても、何が一番いいという答えはないはずです。私も定説を決めるつもりはありません。私はもうすぐ80歳になろうとしています。世間の常識に「右にならえ」的な人生は好きではありません。
日本では、男性は60歳で定年退職するのが一般的です。私は40年前まで外科醫をしていました。そのころ、私の受け持ち患者で、80歳の定年退職した校長が入院していました。看護婦が毎朝検溫に回ると、その患者にいつも腕を握られ、前かがみの姿勢になる度に胸元を見られる、とその「スケベ親父」のことを私に訴えにきたことがあります。私は「そんなこと構わないじゃないか。別に減るものじゃないし。見たいのなら好きなだけ見せてやったらいい」と答えました。またある時期、80歳を超えた女性患者がいました。足が悪く、病院內でリハビリを受けていたのですが、看護士の中で25歳の男の子をいたく気に入り、どんなささいなことでも呼びつけては、マッサージをさせる始末でした。私たちはみな、その女性の癥狀が実はたいしたことがないことは知っていたのですが、好きにさせていました。80歳を超えてまで、そうした異性への好奇心があるということは、高齢者が生きる支えになるというものです。異性への興味を持ち続ける人こそが生命力があるのです。もし異性に興味を失ってしまったら、人はすぐに「枯れた人」になってしまうでしょう。
これこそが人なのです。醫師という立場でも、作家という立場でも、まず人を深く理解しようとすることが大切なのです。