全國人民代表大會常務委員會は27日、9月3日を抗日戦爭勝利記念日に、12月13日を南京大虐殺犠牲者國家追悼日にすることを正式決定した。中國による二つの記念日の制定は、世界から見て十分な道徳性?正義性を持つ。中國はこの二つの記念日を、世界で最も有名な第二次世界大戦記念日にするよう努力していく。「環球時報」が伝えた。
長期的に、中國の抗戦に関する記念活動は世界でそれほど大きな影響力を持たなかった。歐米人は第二次世界大戦について語る時、中國という戦場を忘れることが多く、これを取り上げることが少ない。終戦という重大な日に、西歐とロシアは世界的に影響力を持つ大型の記念活動を実施するが、中國の記念活動がそれらの規模に達することはなかった。アウシュビッツ強制収容所の他に、歐州各地には第二次世界大戦の多くの有名な跡地がある。ノルマンディー上陸作戦跡地、オランダのアンネの日記の主人公の家など、來場者が跡を絶たない。中國の抗戦記念跡地の知名度はやや劣る。
日本政府が公然と侵略の歴史を否定し、書き換えているが、これは歐米社會の中國という戦場に対する印象が淺いことと強く関連している。アジア太平洋の戦場と聞いて人々が真っ先に思い浮かべるのは、日本による真珠灣奇襲に端を発する日米太平洋戦爭だ。中國が何をしたか、日本が中國でどのような暴行を働いたかを思い出せる人は少ない。
中國軍は連合國軍の勝利に大きく貢獻した。中國の表と裏の戦場は日本軍の泥沼と化し、日本陸軍の大部分が中國國內から出られなくなった。この貢獻がなければ、舊ソ連にとって最も苦しい時期となった1941年に、スターリンは冬の作戦に適した主力部隊を極東からモスクワの戦場に派遣できなかっただろう。モスクワ防衛戦は異なる結末を迎え、第二次世界大戦の進展を変化させていたかもしれない。また東南アジアとオーストラリアも日本軍に完全に占領され、米軍がアジアですべての立腳點を失っていたこともありうる。