本年1月26日付東京新聞の投書欄(注)に、チョウ?セイさんという東京に住んでいる24歳の中國人留學生からの「マナーより本音を」と題する投稿が掲載されました。日本人のマナーは表面的で実質が無いという指摘です(これは、中國の方がよく指摘される內容と言えます)。大変興味深い論點をいくつも含む投稿なので、何回かに分けて紹介し、日本人と中國人の人間関係のあり方の違いという大きなテーマについて考察してみたいと思います。(このテーマは複雑で難しいので、あくまでも私の問題意識、仮説を述べるということでご了解下さい。またいろいろとご異論、反論もあろうと思いますので、ぜひお寄せ下さい。)
(注:「投書欄」というのは、普通の市民が、意見を書いて(テーマは自由)新聞社に送り、それが毎日の新聞に數人ずつ掲載される欄です。原則として、自分の名前を明記します。日本の新聞には殆ど全て、この投書欄があります。比較すれば、中國では、インターネット上の意見を通じて世論動向が認識されているように思います。他方、日本では、インターネットで発表された意見のうち匿名のものは無責任とみられ、むしろ自分の名前を明記した投書欄の意見の方が重視されていると言えると思います。またインターネットを使わない老人なども、新聞社への投書はできるので、幅広い世代の意見を反映している面もあります。)
今回は、この中國人留學生が、まずお禮の仕方で日中が違う點に戸惑っている點についての部分を紹介します。
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「日本人は、何かお世話になったらお禮をいい、その後も會うたびに『先日はありがとうございました』などと繰り返していいます。外國人としては、私はこの習慣が逆に、人々の仲を悪くすると思います。」
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短い文章なので、この文章を読んだ日本人には、なぜチョウ?セイさんがそのように思うのか分かりにくいと思います。日本人にとっては、お禮を言うという行為は譽められるべきことであって、何故そのことが批判されるのか分からないのです。他方、私は他の中國人からもいろいろと似た感想を聞くことがあり、それらを総合してみると、以下がチョウ?セイさんが言いたかったことではないかと推測しています。
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中國人は、親しい間柄では、いちいちお禮を繰り返し言わなくても良い、何回もお禮を言うのはかえってよそよそしい、という感じ方があると思います。
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また、「人間関係は長期的に続くものであるので、お禮を言ったり(お禮の贈り物を送って)することで、日本人はいわば貸し借り関係をすぐに清算しようとしている」と中國人は感じるようです。それは日本人が好意を受け取っていないと感じられ、場合により、その點に不快感すら感じるようです。これに対して、日本人は、お禮は、最低一、二度は言うべきだし、繰り返し言っても、それは譽められこそすれ、批判されることはない、と思っています。好意を受けたことに対して、それに対する感謝をいろいろな形で表明することは良いことだと思っています。
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1、中國と異なる日本のお禮の考え方と習慣
日本では、中國と異なる以下の考え方、習慣があります。
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① 日本人の(多くの)親は子供に対して、「何か他人から好意でしてもらったら、必ずお禮をしっかり言いなさい」という教育、躾を徹底して行います。幼児期の躾が、その人の一生の性格を決定する重要な要素であると言えると思います。(尚、「躾」(しつけ)というのは、日本でつくられた漢字です。)。(但し、最近はお禮を言わない日本人も増えました。躾をしない親もいます。それは自己中心的で、嘆かわしいことと日本では一般的に認識されています。)
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② 日本には「親しき仲にも禮儀あり」という表現があります。これは、親しい友人の間でも無理なことを相手に頼むべきではない、友人に迷惑をかけるのはよくない、相手から何か好意でしてもらったら必ずしっかりお禮を言い、金銭的に負擔をかけたら金銭を(なるべく直ぐに)返すべきである、という考え方です。(これに対して比較すれば、中國人は親しい間であれば、遠慮をする必要はない、友人が困っている時には全面的に助けるべきだ、逆に自分が困っている時に友人は自分を助けるべきだ、という考え方だろうと思います。友達に期待する內容が、日中で異なるということは、また機會を改めて論じたいと思います。)
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③ 日本では、結婚、出産などに際して、誰からからお祝いのプレゼントを貰ったら、お返しをすぐする習慣があります。例えば、若い夫妻に赤ちゃんが産まれたら、その夫婦の親戚、友人達は、お祝いのプレゼントを夫婦にあげます。これに対して、夫婦は、(子供が産まれたうれしい気持ちを皆さんにおわけするという考えから、)プレゼントをしてくれた人たちにプレゼントを贈ります。これを「內祝い」と呼びます。もらったプレゼントの価格の半分くらいの価格のものを返すと良いとされているので、「半返し」と呼ばれます。(商品券で「半返し」する人もいます。商品券であれば、何でも好きなものを買えるので便利だという考え方です。)この習慣の基本的発想は、やはりプレゼントを貰ったことへの感謝の気持ちを表明するということだと思います。(お葬式の時に、參列者は香典というお金を遺族に渡しますが、それに対する「半返し」の「香典返し」もあります。お葬式は、日中でかなり発想、習慣が異なり、話が相當複雑になりますので、また機會を改めて述べたいと思います。)
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④ 総じて、日本では、借りを作ったままにしておくのはよくなく、人から何かしてもらったら、なるべく早く返すのが良いこととされる。
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2、友人関係を長期的観點でとらえる中國のお禮の仕方
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中國人ももちろん何か他人からお世話になれば、お禮を言うでしょう。しかし、日本人から見ると、ちょっとお禮の表現が少ない感じがする時もあるようです。例えば、日本において、日本人が、日本人と中國人を夕食に招待したとします。日本人と中國人のお客さんは、共に夕食が終わったら、帰る前に主催者の日本人にお禮を言うでしょう。そして家に帰った後、日本人は更に手紙?葉書を書いたり、Eメールでお禮を伝えてきます。しかし中國人では、そうする人としない人がいるでしょう。しない人が多いかもしれません。
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同じような例で、中國人が日本を訪問して、日本人が日本でその中國人を食事に招待したとします。食事が終われば、中國人はお禮を日本人に言います。中國に帰國した後、「無事に中國に帰國しました」という報告とともに、「おかげさまで、日本で快適に過ごすことができました。お忙しい中、食事にお招きいただき、ありがとうございました。」といった趣旨のお禮の気持ちを伝える手紙なりEメールを日本人に出せば丁寧ですが、そうする中國人はかなり少ないと思います。しかし、そのような手紙なり、せめてEメールを出した方が良いと思う日本人は少なからずいます。
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私がこういう話しを中國人の友人にすると、中國人の友人達は次のように言います。
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「中國人は、お禮を何回も口に出して言わなくても、感謝の気持ちを持ち続けており、5年後でも10年後でも、その日本人が中國を訪問したら、中國で夕食に招待するだろう。」
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そのようなやり方でお禮の気持ちを表現するということだろうと思います。長期的な観點で人間関係をとらえており、その中でお禮の表現も考えている、という言い方もできるでしょう。日本人でも、中國(人)との付き合いが長い人達、中國(人)を研究している専門家たちは、「中國人は、人間関係、そして“貸し借り”関係を長期的に捉えている」ということを感じており、理解していると思います。(たとえば、相原茂氏著「『感謝』と『謝罪』~はじめて聞く日中“異文化”の話」(講談社)は、感謝の仕方、友人関係、貸し借り関係の清算の仕方などでの日中の違いを説明しています。相原氏は、日本人と中國人のお禮の表現の仕方の違いで、贈り物を贈るタイミングの違いも指摘しています。日本では、誰かにお世話になれば、後で「お世話になりまして、ありがとうございます」と言って、贈り物を渡すことがあります。他方、比較すれば、中國では、誰かにお世話になる場合、自分の希望をかなえてもらうために、はじめに贈り物を渡して、良い関係を築くという違いがあるということです。)
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中國の方は、「古い友人を大切にする」「井戸を掘った人を忘れない」とよく言われます。その考え方そのものについては、多くの日本人もすばらしいと思っていると思います。ただ、もし、友人関係(貸し借り関係)を長期的観點でとらえるという中國の人間関係のあり方を背景として出てきたものだとすれば、それはやはり日本人のとらえ方、考え方の背景とは異なると言えます。どちらが良い、悪いということではなく、違いがあるということだけを指摘したいのです。(繰り返しですが、日本人は、傾向としては、借りをつくったままで長期間いることは良くないと考えます。)
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中國(人)とあまり付き合ったことの無い日本人は、中國人の考え方、発想を理解していません。したがって、たとえば、「中國人はお禮をあまり言わない」という認識を持ち、そのことに不満というか淋しい気持ちを持つ可能性があります。
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3、國際的に習慣は収斂していくのか?
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日本と中國の習慣の話から離れて、國際的にはどのような習慣なのでしょうか?私は、これまで日本と中國以外には、アメリカ、フランス、ロシアで生活(勉強と仕事)をしてきました。またパリでは、OECD(経済開発協力機構)というヨーロッパ、アメリカ、カナダ、メキシコ、トルコ、韓國などが加盟している國際経済の協力機関にある日本政府代表部でも3年間働きました。諸國の習慣がいろいろ異なる中で、外交官の間ではある程度共通した習慣が確立しています。
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それはまず「相互主義」です。これは、たとえば、食事に招待されたら、必ずお禮として同じようなことを行い、お返しする、ということです。特に、外交官は常に頻繁に異動があるため、誰か他の國の外交官に食事を招待されたら、その外交官と自分が異動する前にお返しに食事に招待するように努力します。外交官どおしで別の國でもまた再會するということもありますが、それは非常に珍しいことです。だから外交官の付き合いは長期的視點というよりも、短期的視點で考えざるを得ません。
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また外交官どおしで「お禮狀」の習慣もあります。つまり、誰かの家に招待されて夕食をごちそうになったら、翌日にお禮の手紙を出すことです。但し、お禮の手紙を出さない人もいます。
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私が外交官どおしの習慣を紹介したのは、それを見習うべきだということを言いたいからではなく、狀況?必要に応じて、ひとつの習慣ができあがり、それは、歐米の習慣を基礎としながらも、その他の習慣が異なるさまざまな國の出身のかなりの人たちにも受け入れられるものであるということの例を挙げたかったからです。
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異なる習慣が出てきた社會事情などが異なるので、當面は異なる習慣が世界で併存していくでしょう。中國では、従來は長期的な人間関係を構築?維持することが可能だったし、重視されていたのだと思います。しかし、改革?開放とグローバライゼーションが進み、生活のスピードと活動範囲?交際する相手が急激に変化?拡大し、更に多様な外國人との交流も増えれば、習慣の変化もやがて起きるかもしれません。しかし、変化しないところもあるのかもしれません。
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結局、いろいろな習慣の背景を理解するということ、そして自分と異なる習慣に対しても寛容になるということがまずは重要だと思います。私自身は、當面は、中國人と付き合う時には中國風の習慣にしたがって、また日本人と付き合う時には日本風の習慣に従ってやっています。日本の習慣には確かに形式的になっている部分もあり、日本人自身が簡素化する方向で改革している部分もあります。日本の習慣も急激に変化しているところもあるので、將來は、日本と中國の習慣も似通っていき収斂していく部分もあるかもしれません。
(井出敬二 前在中國日本大使館広報文化センター所長)
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「チャイナネット」2009年2月13日