侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館館長 朱成山
2月27日、第12期全國人民代表大會(全人代)常務(wù)委員會第7回會議は、南京大虐殺犠牲者國家慰霊日の制定を決定した。これは歴史上前例のない決定であり、內(nèi)外に広範な反響を呼び起こすのは間違いない。人々は、なぜ國家慰霊日を制定しなければならないか、という疑問を抱くのではなかろうか。
■國際的な慣例■
第2次世界大戦後の歴史を振り返ると、多くの國々がそれぞれさまざまな形で、大戦中に犠牲になった民衆(zhòng)を追悼し、またこうした記念行事は今日に至るまで、さまざまな人々に戦爭犠牲者を追想させ、同時に歴史に対して深い反省を促してきたことに気づく。
ポーランドは戦後の建國當初、國法によって、毎年1月27日、生存者、アウシュビッツ収容所解放作戦に參加した赤軍老戦士、各國要人がアウシュビッツ収容所遺跡博物館主催の記念行事に招かれ、またポーランド全國各地で関連行事が開催されている。2005年11月、國連教育科學(xué)文化機関(ユネスコ)は1月27日を「國際ホロコースト記念日」に制定し、毎年この日に、ニューヨーク、パリなどの國際的な都市で、同様の行事が開かれている。
米國も真珠灣事件を記念している。1941年12月7日未明(ハワイ時間)、日本が真珠灣を急襲し、太平洋戦爭の幕が切って落とされた。當時のルーズベルト米大統(tǒng)領(lǐng)はこの日を「國恥記念日」「対日開戦記念日」として宣言した。毎年12月7日、米國政府、軍、民衆(zhòng)がさまざまな形で「真珠灣事件」を記念している。ハワイからワシントンDCに至るまで各州政府機関は半旗を掲げ、軍関係は獻花式などのセレモニーを行い、同事件で犠牲になった2400人の米國國民を追悼している。オバマ米大統(tǒng)領(lǐng)は、12月7日を真珠灣事件記念日に制定した。
日本も広島、長崎の原爆犠牲者を追悼している。戦後、1951年の朝鮮戦爭の期間に公式行事が行われなかったのを除いて、毎年8月6日、9日には、広島、長崎でそれぞれ大規(guī)模な「原爆犠牲者慰霊平和祈念式」が行われ、首相、衆(zhòng)參両院議長はじめ各政黨代表らが參列している。1999年から、事前に核兵器を保有する各大國に代表出席を要請する招請狀を送付している。米國は一度も応じていなかったが、2011年、同國代表の參加を決めた。潘基文國連事務(wù)総長も広島の式典に出席したことがある。
上述のように、同じような歴史的事件に見舞われた世界の國々が公式行事を行っているのに比べて、中國の國家行事は遅かったが、國際的な慣例を參照とし、それに従っても、遅過ぎたとは言えまい。