19世紀末にニューヨーク?タイムズ紙は「大清國は不潔で醜い國であり、その存在は時代の過ちだ」と報じた。21世紀初めの今日、西側メディアは「中國は戦火に蹂躙され盡くした貧しい國から経済?外交大國へと生まれ変わった」「世界はすでに『中國の時代』に入っている」と感慨深げに報じている。
1840年から百數十年で「時代の過ち」から「中國の時代」へ。西側世界の目に中國は全く異なる2つのイメージで映ることとなった。これは過去300年間世界を欲しいままにしてきた西側文明が中華文明を観察する時の2つの全く異なる座標でもある。2つの「時代」を貫くものは、蹂躙されながらも近代化を急ぎ、困難かつ華麗な転換を果たした東洋の古い國の巍然たる姿であり、數千年間世界をリードしてきた中華文明が沒落を経て変動と融合の中で世界の焦點に復帰した再生の過程である。
この170年のうち、不思議な変化が生じたのは中國共産黨成立後の90年間である。この90年間に中華民族は「千年間なかった変化」を経験した。中國共産黨は天下の形勢を一変させたのみならず、明るい未來を目指し世界の賞嘆する「中國の快挙」を追い求め続けた。
中國近代化の苦しい過程を振り返ると、それは亡國?滅亡の境地から始まった、迫られた自己強化である。中國共産黨は國家の興隆、民族の復興、人民の富裕という夢を現実のものにするには、まず分裂した國家を統一し、民族の獨立と人民の解放を追求し、近代化への數々の障害を除去しなければならないことを心得ていた。